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やすひさの独り言 Yasuhisa's Soliloquy 今一番伝えたい考えや想いをお伝えいたします

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2001/12/20(木) NO.243号 

悲惨な状況の難民キャンプ

 明け方、モスクからのアザーンで目が覚める。まだ5時前後だろうか。暗くて目覚ましが見えないままに2時間ぐらい寝袋の中でいろいろ考える。
 7時過ぎにサリプル州の難民キャンプへ向け出発。三分の二は舗装されていないでこぼこ道、おまけに最近珍しく降った大雨で大きな水たまりが沢山出来ていた。2時間の予定が3時間かかって到着。手前の町並みにはバザール風に様々な店が並び、人並みで溢れており、活気が感じられる。羊の肉を売っている店の前には、切り落とされた羊の頭が生々しく置いてある。かまどの前に並べられたナン(パンの一種)もいろいろな形をしていてうまそう。
 4270家族、約2万人がいる難民キャンプ。ピースウィンズという日本のNGOが現地のNGOと組み、国連の WFP と連携してテロ前から支援してきているキャンプだ。状況は悲惨だ。古い人はもう3年ぐらいいるようだが、最近新たに難民になって流入してきている人達も沢山いて、居住状態から一目瞭然。古い人は土の家に近い形になっているが、新しい人は、20センチほど地面を掘って、その上につっかえ棒と毛布で屋根を作っているだけ。中年風の女性がじっとしているテントまがいに入ってみる。広さはたたみ一畳半程度、家財道具はほとんどない。女性は目に涙をためながら、二人の子供は寒さむさと飢えのため風邪をひいて、今診療所に行っていると訴える。何と言って良いかわからない。火の気は、地面に深さ2、3センチほど、直径30センチほどの穴を掘り、そこに小さなたき火をしているだけで、手をかざしてみても、ほのかに火種を感じるだけだった。夜は一体どうなるのだろうか?
 トイレは広場のようなところに土で胸丈ほどの壁があり、その中に掘った穴に木を渡しただけの「ボットン・・」だ。我々も皆そこで用を足した。衛生状態が心配だ。
 「国境なき医師団」が診療所を開設していた。ベルギーから来ている医者と現地の医者が一緒に診察、待合室には女性と子供が多かった。
 何カ所かの家族を訪れたが、難民キャンプ全体の印象として、コソボに行ったこともある下地代議士は「これはコソボよりひどい」といっていた。聞いてみれば農業従事者が多いようだが、帰る場所、すなわち働ける場所を一日も早く作り、自立できるようにしなければ、いつまでもこの状態になってしまう。
 
 約5時間かけて午後3時過ぎにマザリシャリフ空港へ到着。ところが何と3時に来ているはずのチャーター機が滑走路が工事中のため着陸できず、上空で旋回しただけでまたイスラマバードに帰ってしまったという。なんと言うことだ。結局、市内にある外交部隣のゲストハウスに一泊し、明日の午後3時に改めて飛行機が迎えに来てくれることになった。 夕方、近くのモスク近辺で爆発があったようで、ニュースになっているとの連絡が衛星電話でイスラマバードから入る。皆、衛星電話でそれぞれ日本などにも連絡をする。唯一の連絡手段だ。インド洋上の衛星に飛ぶ、電波に気持ちを乗せ、私も状況説明のため妻に電話してみる。しかし彼女は大して心配している風でもなかった。

またまた寝袋で寝る。暖かい。持ってきて正解。