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やすひさの独り言 Yasuhisa's Soliloquy 今一番伝えたい考えや想いをお伝えいたします

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2005/01/12(水) NO.384号 

松山が生んだ一遍上人の修行の地を訪ねる

 道後温泉本館横の坂道を登り切り、左に曲がると、そこは昭和初期の風情を残す「ネオン坂」という小さな歓楽街。一番奥上右側には、目下その復元活用の是非で話題になっている「朝日楼」という元遊郭がある。なんとこの歓楽街の地主さんは、その坂の上にある宝厳寺(ほうごんじ)という寺なのだ。

 実はこの宝厳寺こそ、鎌倉仏教の一つであり踊り念仏で有名な時宗(じしゅう)の開祖者である一遍上人の生まれた場所で、重要文化財の「一遍上人木像」もここにある。そもそも一遍上人が松山生まれであるという事実は、東京などでは殆ど知られていないし、松山の人でも、8割方は知らないと思う。

 「信心の有無、浄・不浄を問うことなく、念仏を唱えるだけで全ての人が救われる」と説いた一遍上人。その一遍上人が3年間修行をした地が同じ松山にある、と某地元民間テレビ局の社長さんから年末に教えられ、わざわざ送って頂いたリーフレットを頼りに、今日、新年挨拶の合間を縫ってその地を訪れてみた。

 何しろ寒かった。道後平野の最南端の町、松山市窪野町の棚田とまばらな民家の間を登り続け、久万高原につながる、雪を頂く皿ヶ峰のすぐ真下の「北谷」という一番奥の地域だ。史跡の痕跡がいくつか残っており、記念撮影(HPのライブレポート、参照)。

 「身をすつるすつる心をすてつればおもひなき世にすみぞめの袖」との一遍上人の歌碑が「一遍上人窪寺念仏堂」の脇にある。修行後、一遍上人はここから修験者の通った道を南に向かって登り、大宝寺、岩屋寺と巡って行ったという。

 今日は、しばしの間、人の心を噛みしめる時間を頂いた。

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