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現代ビジネス-2013年2月8日掲載記事

「原子力問題調査特別委員会」の設置決定でようやく動き出した「国会事故調の提言」(現代ビジネス)

 今通常国会の召集日である1月28日、衆議院本会議で「原子力問題調査特別委員会」の設置が全会一致で決まった。この委員会は、国会に設置された「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)」が昨年7月にまとめた「7つの提言」の第1番目に掲げられていたもので、提言から半年以上たってようやく実現した。

 国会事故調は、国会が民間専門家に託して、独立した立場から政府の失敗を調査したもので、こうした機関が設置されたのは憲政史上初めての事だった。私は事故直後から国会事故調の設置を提唱、議員立法化に動くなど、深くかかわってきた。

 その事故調の提言だけに、絶対にたな晒しにはできないと考え、粘り強く特別委の設置を求めて各党と協議してきた。それがようやく実現したのだから、感無量である。さらに、この特別委員会の自民党の筆頭理事を務めることにもなり、身の引き締まる思いだ。

民主的統制を欠いた原子力規制委員会

 国会事故調の報告書の「提言1」にはこう書かれていた。

〈 国民の健康と安全を守るために、規制当局を監視する目的で、国会に原子力に係る問題に関する常設の委員会等を設置する 〉

 昨年夏に提言がまとまって以来、私は議員運営委員会の理事だった公明党の遠藤乙彦衆議院議員(当時)とともに、衆議院としていかに具体的、かつ速やかに対応すべきか協議を重ねた。提言1にある常設委員会を1日も早く実現すべきだと考えたが、この思いは、国会事故調を共に立ち上げた民主党の松井孝治参議院議員とも、ツイッターなどを通じて共有していた。

 当時の与党であった民主党は当初、複数の大臣を拘束される恐れがあるとして、特別委員会の新設ではなく、既存の環境委員会に小委員会を設けることで十分だ、との消極姿勢だった。交渉の結果、この特別委員会は所管大臣を持たず、常時出席するのは、大臣級である「原子力規制委員長」のみとし、他の省庁に関しては原則的に大臣を呼ばず、副大臣対応とする申し合わせを行なうところまで合意した。さらに、民主党側が「口頭約束ではなし崩し的に約束が反故にされる恐れがある」と強く懸念したため、議院運営委員会で交わすべき書面の覚書までも用意した。

 ところが、民主党の幹部の最終了承を得られないまま通常国会が終わってしまったのである。極めて残念な思いをするとともに、事故調の黒川清委員長など関係者に対し、申し訳ない思いで一杯だった。さらに、臨時国会でもまとまらず、そのまま解散総選挙となり、結局、今通常国会にまで持ち越されてしまったわけだ。

 ようやく動き出すこととなったこの特別委員会は、原子力規制の民主的統制にとって、非常に大きな意味を持っている。この特別委員会の目的は政府の「原子力規制委員会」を国会として監視することにある。

 規制委員会は自民・公明両党が提出した議員立法が修正可決されて、昨年9月に設置された。国家行政組織法第3条に則った独立行政委員会、いわゆる「3条委員会」で、内閣の指揮監督下には置かれず、独立した行政執行権を有している。委員には身分保証が与えられている。

 もちろん、その行政執行に対して民主的統制が必要であることは言うまでもない。委員の人事はまず政府が提案するが、国会がそれに対し同意を与えるか否かを決するとともに、委員会の活動を監視することになる。しかし、特定の3条委員会を専門的に監視する委員会はこれまで国会に存在してこなかった。

 残念ながら、民主党政権は、原子力規制委員会の5人の委員長・委員の人事を決めたが、緊急の場合の規定を使って逃げ、国会の同意を求めなかった。また、国会による監視の仕組み作りにも消極的で、原子力規制委員会は、民主的な正統性がないまま、今日まで来てしまっている。

 ようやく今回、原子力規制委員会を監視するための常設の特別委員会が国会に立ち上がったわけだ。

古い「原子力規制文化」をいかに克服していくか

 特別委員会としてまずやらなければならないのは、原子力規制委員会が民主的統制の上に運営される体制になっているかどうかをチェックすることだ。規制委員会は現在、原発施設内の活断層について調査しているが、一部から「再稼働阻止ありきの調査を行っている」という批判が出ている。破砕帯有識者会合の人選などが偏っているのではないか、というのだ。

 原発の再稼働に関しては安全第一で判断するのが当然だ。だが、原発容認派も反対派も、いずれもが納得する調査が行われ、判断が下されるべきである。そういう体制になっているのか、国会としては目を光らせていくべきだろう。

 原子力規制委員会を設置する議員立法を提出するに当たって、私は、かつての原子力規制体制の問題点は、「独立性」、「一元性」、「専門性」、「透明性」が欠如していたことだと主張した。いずれも「安全神話」の下で、長い時間をかけて出来上がった「原子力規制文化」の結果だった。一朝一夕にそれを完全克服するのは難しいが、特別委員会で粘り強く検証を続けていかねば、文化・風土は変わらないだろう。

「独立性」について、早々にその実効性が問われる事件が起きてしまった。断層調査に関する報告書原案が、幹部である審議官によって日本原子力発電(株)に事前に漏えいされてしまったのだ。審議官は更迭されはしたが、古き慣習が引きずられており、真の「独立性」の実現は容易ではないことが早くも明らかになってしまった。

 国会事故調が指摘した「規制の虜」、つまり規制当局者が電力業界の「虜」となっていたことが事故の原因の一つだ、ということが報告書では繰り返し指摘されているが、それがまだ続いているのではないか、という疑いが生じたわけだ。新設の特別委員会で追及されるべき本質的問題だろう。

 規制委員会の委員が「役人の言いなり」にならないような体制作りも不可欠だ。現段階では、委員自身を囲む独自のスタッフがほとんどおらず、規制委員会の事務局組織である原子力規制庁のスタッフが委員を直接支える体制になってしまっている。ちなみに米国NRCでは、事務局側から委員に直接接触することは禁じられ、委員側からの要請があって初めて接することとなるようだ。その間、5人の委員はそれぞれ10人前後の独自スタッフを抱え、自ら判断ができる能力を備える仕組みとなっている、と聞いている。

 このように米国では委員会のイニシアティブ重視は明らかだが、我が国規制委員会では、その事務局幹部から事情聴取をする限り、いまのところこうした意識はまったく希薄で、相変わらず霞が関官僚組織がすべてを仕切ろう、との姿勢が見て取れ、こうした所でのパラダイムシフトも極めて重要だと思われる。

 また、「専門性」に関して言えば、まず、原子力規制庁の幹部人事を見ると首をかしげたくなる。米国NRC(原子力規制委員会)の場合はその幹部にはNRCにおける規制経験30年クラスの原子力規制専門の技術系ベテランがずらりと並んでいるのに対し、わが国の場合、原子力規制経験ゼロの事務官や、たった数年しか経験していない技官が並んでいる。

 そうした人事を行うことを許した民主党政府は、福島原発事故から何を学んだのだろう。国会事故調の報告書を読んだのであろうか。「事務官支配」文化が事故の原因の一つであった、との反省はどこにあるのか。国会として、こうした点に関しても厳しく指摘していくべきだろう。

 その前に、特別委員会として、まず行うべきは、国会事故調の黒川委員長ら10人の委員をお呼びし、国会として正式に事故調の報告内容や、7つの提言をお聞きすることだろう。そして、今回の委員会設置の意義を確かめるとともに、深刻な事故の原因が何だったのか、そしてその反省の上に立って、国家としていかに対応すべきか、改めて議論することだろう。

 筆頭理事として各党と協議のうえ、国民の期待に応えられる特別委員会にしていきたい。


http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34783