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現代ビジネス-2012年10月9日掲載記事

次期安倍内閣の柱は「経済再起」。日本の仕組みを根本から見直す改革路線へ、一丸となって、総選挙を戦っていきたい!(現代ビジネス)

 安倍晋三元総理が自民党の新総裁に選出された。2007年に総理・総裁の座を退いてから丸5年の月日がたったが、この間に自民党に代わって政権を担った民主党は、国民の期待を大きく裏切り、日本経済は崩壊寸前の瀬戸際まで追い込まれている。

 企業の国際競争力は衰え、新産業は生まれず、給与は下がり、年金や医療などの負担はさらに大きくなり、国家財政も破綻の危機に瀕するところまで悪化した。これは「ばらまき」さえ行えば経済が成長する、と安易に考えた民主党政権の経済失政の結果であることは明らかだ。一刻も早く政権を奪還し、まともな経済政策を実施することで、日本経済の成長エンジンを再起動しなければならない。

小泉・安倍の構造改革路線による日経平均株価18,297円(2007年7月)

 小泉純一郎総理から政権を引き継いだ安倍内閣の経済政策の柱は「自由と規律でオープンな経済社会」を構築するというものであった。すなわち、「小さく効率的な政府を推進し、民間の活力をフル活用する」という構造改革路線を堅持しながら、新たにグローバルな成長力を取り込むべく、日本経済の門戸を世界に開く「オープン化」に取り組んだ。

 と同時に、経済成長の果実を誰もが実感できるよう、「誰もがチャレンジ、再チャレンジできる社会の実現」を掲げ、努力した者が報われ、勝ち組、負け組みが固定しない社会づくりを目指した。こうして安倍政権の構造改革・経済成長路線のもと、2007年7月に日経平均株価は1万8,297円を記録、バブル崩壊後の最高値を付けた。

 多くの目に見える改革の成果が現れ始めていた。例えば、「経済のオープン化」については、「良いヒト・モノ・カネ」を世界から集めるためにも世界と日本とのアクセスを強化することが重要と判断し、内閣を挙げて航空の自由化に積極的に取り組んだ。

 当時、根本匠補佐官を中心に政務のチームが航空官僚を相手に連日連夜のしぶとい論戦を挑み、結果として羽田空港の国際化促進や、地方空港において観光振興等を推進するための「オープンスカイ」への道筋をつけた。今日では、出張などの際に羽田や地方空港など成田以外の多くの空港から手軽にアジアや北米などに飛べるようになり、多くのビジネスマンがその利便性を実感しているはずだ。

 また、「小さく効率的な政府」の実現に向けて、公務員制度改革、とりわけ政府の自己肥大メカニズムにも思い切ってメスを入れた。渡辺喜美大臣や太田弘子大臣らとがっちりタッグを組んで、オール霞が関との半年あまりにわたる死闘を乗り越え、最後は、担当官庁から民間企業に対する天下り斡旋を全面規制する法案を通すことに成功した。

 霞が関からの反発と怨嗟は想像を絶するものがあり、多くの方から無謀な闘いは止めるべきだと心配する声も上がったが、安倍総理の意思は固かった。官製談合などの不祥事の続発や、巨額の財政赤字の膨張という現実を前に、天下り先確保を目的とした霞が関の行動原理を一新し、無駄な財政支出や無用な規制をなくす必要があった。

 そのほかにも道路特定財源の一般財源化や、不祥事の相次ぐ社会保険庁の廃止・解体など、安倍政権は発足から1年あまりの短期間に、歴代政権が手をつけてこなかった内政課題に次々に取り組んでいった。

日本復活の歩みを止めた「格差原理主義」と「ばらまきエコノミクス」

 しかし、開かれた保守主義の国家観と、自由活発な民間主導の経済成長の推進、これら安倍政権の政策軸の両輪が大きく回り始めた矢先、2007年夏の参議院選挙で自民党は大敗を喫した。その大きな要因の1つが、野党が一斉に煽った「格差批判」の大合唱であった。

 2007年当時、民主党をはじめ野党はこぞって「努力した者が報われる」社会がもたらす「競争」こそが、日本社会に不当な格差を生んだ、と痛烈な批判キャンペーンを展開していた。メディアでも「ワーキング・プア」の問題が大きく取り上げられ、「努力しても報われない」若者世代の不満がにわかに注目されるようになった。ワイドショーなどでも「改革疲れ」などという言葉が頻繁に登場するようになり、地方でも小泉内閣から続いた構造改革路線の「痛み」が出始めていた時だった。

 安倍政権では「再チャレンジ」、すなわち、誰もが何度でも成功へのチャンスを与えられ、負け組が固定しない仕組み作りを進めることでこうした悲鳴に答えようとした。政府による若者の就労訓練・就職支援の強化が直ちに実施された。

 また、イギリスの制度を参考に、アルバイトなどを含む若者の就労経験が記録され、職務経験としてのステップアップにつながる「ジョブカード制度」を官邸主導で導入した。さらに、菅義偉総務大臣が導入した「ふるさと納税」などは、都会の住民が税収の少ない地方都市へ納税を振り返ることができる創造的な制度であった。

 しかし、当時の民主党は「機会の平等」よりも、「結果の平等」にこだわり、「格差原理主義」とでもいうような、厳しい格差批判を重ねた。メディアもそれを煽った。目に見える、即効性のある政府による冨の再分配を求める機運が盛り上がる中、残念ながら政権の「再チャレンジ」の取組みはなかなか社会に浸透しなかった。

 2007年夏の参議院選挙の敗退後、「格差拡大」を喧伝する民主党に国民の支持は一気に流れ、2009年の政権交代へとつながっていった。子ども1人あたり、年間31万2,000円の子ども手当、高校の無償化、農業の戸別所得補償、高速道路の無料化など、これでもかというほどわかりやすい「ばらまき」政策がマニフェストに並べられた。国家財政が窮乏している中の無謀な大盤振る舞い。しかし、多くの有権者は、即効性ある「結果の平等」を謳うキャッチコピーを深く疑うことなく、すがる思いで一票を投じた。

 その結果どうなったか。民主党政権の3年間で雇用はまったく増えず、給与も減り続けた。政権交代時に1万円を超えていた日経平均は、一度も本格的な上昇過程に入ることなく低迷を続け、いまは8,800円前後、つまり2007年7月の50%以下の水準まで落ち込んでしまった。これは世界経済減速の影響ばかりではない。

 例えば、アメリカはリーマンショックの震源地であったにもかかわらず、ダウ工業平均株価は2007年7月に約14,000ドルだったものが、現在も13,000ドル台に戻している。民主党政府はそれがあたかもデフレなどの外部要因に起因し、政治に責任がないかのような顔をしているが、データが示す事実は明らかである。経済政策の失敗が今日のジリ貧状態を作り出したのである。

 確かに、景気が悪化するや、格差論議は急速にしぼんだ。しかし、これが本当に我々が望んでいた日本の未来像であったのか。民主党政権下の経済失政の代償はあまりにも大きい。

再び、経済成長へ大きく舵を切るとき

 安倍総裁は総裁選立候補に当たって「日本再起」という政策項目をまとめた。6つの柱を掲げたが、その冒頭が経済の再起だ。「1日も早いデフレ脱却と成長力の底上げで所得向上、雇用の創出に全力」とし、「強力な成長戦略」を推進することを公約している。

 総裁選の最中は、隣国との関係緊迫もあり、安倍総裁の外交力や安全保障政策の芯の強さに注目が集まったが、公約のトップに経済再起への取組みを掲げていることに注目していただきたい。

 安倍総裁がもう一度、国政を総理する任に就いた際には、民間の活力をフルに引き出す、日本経済社会の仕組みを根本的に変える改革路線を進むことになるだろう。もちろん、当然生じることになる「きしみ」にも耐えられるようなセーフティネットの構築整備には、前回以上に配慮しなければならないが、もはや民主党以上のばら撒き政策を標榜しても日本に未来はないことははっきりしている。

 かつて自民党議員の中には、公共事業によって地方に財政をばら撒く「古い自民党」の復活を望む人たちもいた。経済政策を巡って、党内には深刻な対立軸が存在していた。しかし、彼らも、国家財政が破綻寸前になっている中で、かつてのようなばら撒きに使えるカネがもはや存在しないことは分かっている。

 今回の総裁選で大方の予想を覆して安倍総裁が勝利したのは、自民党がそうした古い考えと訣別し、時代に適した新たな姿に生まれ変わりつつあることを意味する。

 今後、政権奪取に向けて、次期安倍内閣の経済政策の議論が活発化していくことになろう。安倍氏を支える我々自民党議員の一人ひとりが議論を尽くし、一丸となって、日本経済の再起を成し遂げる方策を掲げ、総選挙を戦っていきたい。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33736