トップ > マスコミファイル

マスコミファイル MassMedia File 塩崎やすひさに関する取材、記事をご覧いただけます

  • 全タイトル一覧
  • バックナンバー

サピオ-2000年 8月23日

われわれ若手政治家こそ、票にならなくても、「国家」「憲法」「防衛」を議論していかねばならない

「外交や安保は票にならない」とこぼす代議士は少なくない。世界唯一のスーパーパワーたるアメリカの大統領選挙においてすらそうした傾向にある。
しかし、国際情勢がめまぐるしく変わる中で、日本の若手政治家の間からは、いつまでもこうした問題を等閑に付してよいのかという声も出始めている。
そこで、これまで本誌が問題提議をしてきた自衛隊をめぐるさまざまな問題…。憲法など法的な位置づけ、日米安保における役割、組織・装備体系の再編などについて、自民党の石原伸晃、塩崎恭久、民主党の樽床伸二、前原誠司の4氏が、徹底討論を行なった。


昨今の憲法改正論議は、環境権などこれまでなかった新しい権利をどう付与するかという議論はあっても、ややこしい問題を孕む憲法9条の改正論議は何となく避けている印象が否めなかった。
しかし、戦後平和憲法の下で便宜的につくられ、″私生児″的存在として曖昧なままに拡大解釈がなされてきた自衡隊の在り方に、ここに至って限界が見えているのも事実。
今こそ、自衛隊と寒法9条改正問題に正面から取り組む必要があるのではないか?
 
前原:例えば、憲法9条を子供が読んだ時に、「では自衛隊は合憲か違憲か判断しろ」と尋ねれば、たぶん誰もが「違憲だ」というと思うんですね。でも、現在の憲法がつくられた当時からは、世界情勢もアメリカの態度も大きく変わって、自衛隊を政策的に合憲にせざるを得なくなった状況が私はあると考えます。ですから結論からいいますと、私は、憲法9条を改正して、自衛権を憲法に明示すべきだと考えます。
 
 自衡権を持つことは、主権国家としては当たり前のことです。それを憲法に明記することがなぜ問題なのか。それから、自衛権といっても、個別的自衛権と集団的自衝権の問題がありますが、私は当然両方を認めるべきだと考えます。
 
樽床:私も前原さんと同意見。実は、6月の総選挙前の憲法調査会で質疑をする機会を得たので、「憲法9条の改正論議を避けて通っては絶対ならん」と、私ははっきり申し上げたんです。現状、憲法改正の話になるとすぐにイデオロギーという物差しが介入してくる。「憲法を改正しよう」という人は、右というか保守反動派。「憲法を守ろう」という人は、何か非常にリベラルで進歩的みたいな感じがあって、そこから抜け出せないという状況がずっとあった。これは大変不幸なことだと思っているんです。やはり、今の日本にとって望ましい憲法とは何か、イデオロギー論議から脱却した憲法の在り方を考える場合に、私は憲法9条の問題に触れざるを得ないと考えます。
 
 ただし、前原さんと私の意見は、民主党全体でいうとかなり偏った意見(笑)。まァ、圧倒的に偏っているというといい過ぎで、党の中央では7割ぐらいがわれわれと同意見でしょうが、全国的にいうと5割ぐらいかな。
 
石原:今のお二人の話は論理的に正しいし、国民の3〜4割の方はそう考えていると思います。
 
 ただし、ジャーナリズムの世界 に身を置いた人間としていうと、50数年間1回もいじらないできたこの憲法を、大上段に構えて、憲法9条という国の安全保障にかかわる問題からいきなりアプローチして行くのはどうなのか疑問です。
 
 今でも、「憲法改正は悪だ。もってのほかだ」と考えている尖鋭的な人たちが国民全体の3割ぐらいはまだいると考えられます。憲法全体の改正論議ならまだしも、いきなり憲法9条の問題からアプローチしたら、そういった人たちが論戦?」ってくるのは間違いない。その結果、そうした人たちに引っ張られて、国論が二分する形となってしまうのではないか。やはり、そういった事態だけは避けていかなければならないと思います。
 
 樽床さんから、現在の民主党の7割は樽床さんたちと同意見という力強いお話がありましたが、その例からいえば、国民の7割ぐらいが同様のコンセンサスを持つまで、それほど時間はかからないのではないかと思います。それから、安全保障の問題、国と軍隊といったことを議論してってもいいのでは。残念ながら、今はまだそこまで来ていないという印象を持っています。
 
塩崎:日本は戦後50余年が経つのに、憲法を一度も変えてこなかったという話がありましたが、憲法、あるいはそれに類する基本法を持っている先進国で、それを戦後全く変えていないというのは日本ぐらいだと思います。では、今後もこのままでいいのかといったら、戦後50余年のうちに世界情勢や日本が置かれた環境も変わっているのに、憲法という基本的な国の骨格を変えないで済むはずがない。
 
 日本の戦後政治の特徴をよく表わしている由々しき問題だと思うんですが、これまでの憲法解釈は内閣法制局が一手に取り仕切って、国会もそれを金科玉条のように与党も野党も大事にしてきたわけです。しかし、これはいってみれば行政の採っている解釈を、内閣法制局というやはり行政が合憲か違憲かを判断してきたとい、つことで、極めて不健全な民主主義といえる。行政が下した法解釈が憲法に合っているかどうか、内閣法制局ではなく、やはり最高裁判所が最終的に決めるべきことなのです。それなのに、例えば昭和30年代に内閣法制局がこういった解釈をしている、といった話が今でも大事にされている。これは日本の国の治め方として大問題だと思いますね。
 
 自衛隊の問題などは、まさにその象徴といえるでしょう。私は、そもそも反戦運動から政治に入った人間ですから、「国権の発動として戦争を仕掛けない」という、戦後すぐにできた憲法の哲学は大事にすべきだと思っています。同時に、自分を守ることを忘れた国というのは一人前ではないとも考えます。変えるべきところは変える必要がある。
 
 とはいえ、自衛隊を正式に軍隊にしようということには、まだ国民的反発があるのではないかと石原さんが指摘されたように、憲法改正論議を9条から入っていこうというのは現実的に無理な話だと思います。私の考えは、9条も含めた全面的な憲法の見直しをしなければならないというものですが、まずは大いに議論することが大切だと思いますね。
 
前原:小さな政府という議論が日本にもありますが、究極の小さな政府というのは夜警国家。その考え方の基本は、国防と警察だけが国の仕事であって、あとはレッセフェール、自由放任にやりなさいというものです。このように、究極的な小さな政府でも、警察機能と国防機能だけは国の役割と決めている。その点からいっても、自衛隊の在り方はこれまでのように憲法解釈で決めるのではなく、憲法にしっかりと明記することが必要だと考えます。同時に、現在は総理府の外郭団体の一つとされている防衛庁も、国防機能を国の構えとして考えていくためには、省に格上げすべきだと考えます。
 
塩崎:防衛庁を省に格上げするには、国内的なアレルギーの問題と、今もアジアの人たちに物凄い懸念の声があるという問題をクリアーしていかないといけない。特にアジアの方々の話を聞いていると、国家として自衛権を持つことが当然であっても、よほど気をつけてコンセンサス・ビルディングをやらないと誤解を招くんだなということは何度も痛感しています。
 
石原:防衛庁が防衛省になる、あるいは自衛隊とカモフラージュしてさたものが名実ともに軍隊になる。それが国家の意思の下に動くようになるということは一つの覇権になりますから、それに対する危機意識、アレルギーがやはり世界に残っているということは確かでしょう。その一方で、アレルギーを露にしている国々も、実は覇権主義を持っているところも多い。だから、そこは政治・外交のアカウンタビリティー(説明責任)に属する問題なのかなと思いますね。
 
塩崎:憲法改正議論にしても、議論というのは尖鋭的にでもどんどんやったらいい。例えば、読売新開が憲法改正試案を打ち出したじゃないですか。あれと同じように、前原試案とか、石原試案とか、そういうのをどんどん出して刺激をしてもいいんじゃないですかね。


日米安保の変質と自衛隊の新たな役割

前原:実は日本は、既に今でも集団的自衝権を行使していると思っているんです。つまり、日米安保というのは、これはもう同盟関係であり、集団的自衛権に他ならないと思うわけですね。例えば、米国がアジアで紛争に関与するという場合、米国は日本の基地という極めて有利な戦略的拠点を得て、戦いを有利に進められる。その時、米国と戦っている当事国から見て、日本は全く中立なのかといえば、そんなことあるわけない。日本は同盟関係から米国をサポートしている、集団的自衛権を行使していると見られておかしくない。「一緒に戦っているわけではないのだから、集団的自衡権を行使していない」とする内閣法制局の解釈は、世界常識からすれば全くの詭弁だと思いますね。
 
 だから、解釈論ではなく、もつと素直に自衛権を憲法で認めるなかで、集団的自衛権とはどういうことなのかを逆に正々堂々と考えた方がいい。その結論として、「集団的自衛権は行使できるが、日本はそれはしない」とか、逆に政策的に封印してもいい。いずれにしても、その方がよほどわかりやすいと思うんです。
 
石原:アジアの中にあって独裁体制が続いている中国の存在を考えた時、日米安保体制は21世紀になっても重要な意味を持つと思います。今後20年ぐらいのタームでみても、ヨーロッパのNATO(北大西洋条約機構)のような域内集団防衝体制みたいなものの構築がアジアでは期待薄である以上は、日米安保体制は少なくとも21世紀初頭の30年間ぐらいは大切にしていかざるを得ないと考えます。
 
樽床:大事にしていかなければいけないというのは全く同感。同時に、いつまでも大人と子供の関係であってはいけないと思います。大人と子供の関係は止めて、大人と大人の関係に変えていって、お互いにできるところはできる、できないことはできないとはっきりした形にしていかないと。「日本がいつまでも子供じみた態度でいるなら、ウチはやってられない」と米国から一方的に安保条約を破棄される場合だって考えられるし、将来的に関係がおかしくなってしまう。
 
前原:橋本政権の時に、クリントン大統領が訪日して、橋本さんと日米安保の再定義(96年)をやったことは非常に重要な意味があると思うんですね。ソ連の脅威に対応するための日米安保から、いわゆるアジア・太平洋地域の安定のための公共財にしていく、地域安全保障を日米安保が機軸になって受け持つということを打ち出し始めた。そこで、自ずと日米安保の持つ役割は変わってくるということですね。
 
 つまり、日米安保を横軸としながらも、地域の安全保障体制を築くということであれば、これに韓国を入れてもいいわけですよ。もっと極論すれば、中国を入れたって、台湾を入れたっていい。日米安保体制をそういう多国間の安全保障体制に移行する一つのキーストーンにしていくという孝えがあって私はいいと思う。
 
塩崎:日米安保を大人と大人の関係にしていこうというのはいいですが、その時に問題なのが、どんな軍備を備えているか、技術的なバγクアップ体制によって関係も決まってくると思うんですね。現在の関係を変えるとなれば、装備体制も変えないといけない。
 
 例えば、集団的自衝権を完全に行使していこうということならば、日本も攻撃性のある爆撃機を持たなければいけないだろうとかいった問題も起きてくるだろうし。イコールな責任をアメリカと日本が負うとなれば、かなり根っこから変えていかないといけなくなる。
 
 また、防衝予算というものを かなり増やさなければいけなくなる。しかし、それでなくても、何か国の出費がかさむと、すぐに「防衛費を削ればいいじゃないか」という話が、例えば後援会などの人々から間こえてくるという実情があるわけですね。
 
そうした議論を避けてきた政治家の貴任が一番重いと思いますが、そういう国民意識を変えるのは一朝一夕には難しいだろうし、大人と大人の対等の関係にもっていくのは、そう簡単ではないという思いがしています。とはいえ、せめて兄と弟ぐらいの感じには、日本ももっていかないととも考えますね。
 
樽床:私は、大人と大人の関係といっても、全く同じ能力を持つ大人と大人でなくてもいいじゃないかと思います。大人同士でも得手不得手は当然あるわけで、お互いの得手の部分をうまく活かして付き合っていけばいい。アメリカと全くイコールになるなんて日本にはどだい無理ですし、その意味では、やはり外交カが問われていくんだと思います。
 
塩崎:それはその通り。さっき私が兄と弟の関係といったのは、あくまで軍事的なものだけで、国と国としては大人と大人の関係でないといけない。そこで求められるのは、まさに外交そのものなんだと思います。


国民的な議論をいかに喚起していくか

石原:現在の近代戦争では、使われる兵器そのものがかつてとはかなり様変わりしている。そういう近代戦争を前提とすれば、国が担う国防の持つ意味さえ変わってきて、そこをもう一度、十分に議論する必要がある。
 
 例えば、私は、コソボ紛争あたりから米国の世論はだいぶ変わったんじゃないかなという気がしています。要するに、あの紛争では米国は空爆しかしなかったわけでしょう。これまでだったら絶対に地上軍も投入していたと思える紛争に、結局、地上軍を投入しなかった。その観点からいえば、日本が他国から攻められた時に、日本を守るために果たして米国が地上軍を投入してくるだろうか。
 
樽床:それはないよね。
 
石原:それはないですよね。
 
樽床:もし日本が他国から攻撃されたとしても、現実的にいって、それは地上戦ではないでしょう。近代戦争のピンポイント爆撃で「バーン」と攻撃される。本当にそういうことだと思うんですね。ですから、極論すれば、軍事的装備として、戦車なんてもはやいらないんじゃないか、陸軍なんていらないんじゃないかという話になると思うんですよ。だから、今後の日本国内の防衛を考えた場合、私は陸軍なんていらないと考える。その反面、TMD(戦域ミサイル防衛)の問題などは真剣に考えなければいけないという気がします。
 
前原:近代戦争の戦い方は、今までのわれわれの戦争認識と全く違うものになる、というのは、まさにその通りでしょうね。実際、湾岸戦争の時も何かテレビゲームを見ているような感覚を覚えましたが、今はもっと変っているかもしれません。それから、自衝隊の装備に関してですが、私は集団的自衛権を日本が認めたとしても、装備の面ではそんなに変えなくて済むと考えているんです。
 
 例えば、「戦闘機」や「攻撃機」という言い方のものは現在の自衛隊は持っていないわけですが、現在保有している「要撃戦闘機」のF4やF15をちょっと改造して、空対地コンピュータなどを取り付ければ、すぐに戦闘機になり得るわけです。ことほど左様に、集団的自衛権まで行使しょうと思ったら、今の自衛隊の装備を全く変えなければいけないとか、莫大な費用がかかるとかいったことは、ある意味で言葉のマジックに過ぎないともいえるわけです。
 
塩崎:現在日本は、保有しているイージス艦にトマホークは搭載していませんよね。
 
前原:トマホークは、専守防衛の域を超えるということで積んでいません。もちろん、イージス艦をちょっと改造すれば搭載できるんですが。
 
石原:それは、ナンセンスな気がしますね。さっき樽床さんがいわれたように、近代戦争は地上戦なんてなくて、ミサイルや戦闘機による攻撃となるのは間違いない。とすれば、それを阻止しようと思ったら、たとえば、相手のミサイル発射基地を攻撃できるような射程距離を持つトマホークのようなものを持たなければ防衝などできないじゃないですか。
 
塩崎:もちろん、国内的にも外交上もきちんとした手続きは必要だろうが、イージス艦にトマホークを搭載するぐらいなら、アメリカも目くじらを立てないんじゃないの。アジア地域でこれまでアメリカが果たしてきた役割を日本が順次担っていくことについては、アメリカも歓迎するんじゃないですか。実際、そういう要望は既に具体的にかなりあるようです。
 
前原:そうですね。だから、核を持つとかいった突出したことをしない限り、アメリカの比較優位が崩れない範囲であれば、アメリカもうるさくいってこないでしょうね。安保体制を維持したままで、日本はもっときちんとした防衛力を持つことは可能だと思うんです。
 
石原:それにしても、塩崎さんは今、自民党の外交部会長だけど、正直いって党の外交部会長なんてやりたがる人がいないのが実情なんですよ。外交・防衛についての話なんか、政治家といえどみんなしたがらない。それをしたがらないというのは、国民がそういったテーマに関心がないことと無縁ではないわけです。国民みんなが関心を持っていれば、政治家だってみんな、「俺も外交部会長や安全保障調査会の会長をやりたい」というんでしょうけど。今、自衛隊の問題なんか雑誌で取り上げたって、誰も読まないんじゃないの(笑)。実は、もっと身近な問題なんですけどね。
 
樽床:なぜそうなのかというと、私は中央集権か、地方分権かという議論に立ち返ってくると思うんです。要するに、今の国会は本来は地方自治体に任せるべき細かなことまで決め過ぎている。ばかばかしいといってはお叱りを受けるかもしれないが、地方自治体が決めればいい身の回りのことまで国会で決めようとしているから、本来国家が一番考えなければいけない外交や安全保障の問題にまで労力を割こうという国会議員が少なくなってしまっている。この在り方を合わせて変えていかないといけない。
 
前原:今の日本に足りないのは、ハードではなくソフトだと思います。ソフトというのは何かというと、国としての大きな構え。今の日本の国民は、安全保障とは何ぞや、自分の国を守るとは何ぞや、ということを考えずにきている。ちょっと穿った言い方をすると、やはり戦後教育というものが愛国心というものを育ててこなかったし、自らの国を守るということを軽んじてきた結果がこういう状況を生んでいるんじゃないかと思います。
その派生として、例えば有事法制、何かが起こつた時の法律が決められていない。日本有事の際の防衛協力の話でさえ、まだ米国と全然詰められていない。ですから、日本は本当におめでたい国だと思うんですね。安全保障については、本当にソフトが欠けている。
 
 先程、石原さんから、いま自衛隊や日米安保の問題を取り上げてもみんな関心を示さないのではないかという話がありましたが、そういう雰囲気が盛り上がっていない時だからこそ、われわれ国会議員は気力を振り絞って、絶えずこうした問題について、国民に対して喚起を促していくことが必要ではないかと強く感じています。

バックナンバー

Governance Q 対談記事
Governance Q-2023年5月9日掲載記事
Governance Q 対談記事
Governance Q-2023年4月20日掲載記事
世界のサカモト、僕の坂本 前衆院議員塩崎恭久さん 坂本龍一さん追悼
愛媛新聞ONLINE-2023年4月14日掲載記事
開始延期を支持した「大臣談話」公表の真意―塩崎恭久元厚労相に聞く
日本最大級の医療専門サイト m3.comインタビュー記事
FRIDAYインタビュー記事
FRIDAY-2023年3月22日掲載記事