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NIKKEI NET 特別コラム「ザ・フロントランナー今週の視点」第6回-2001/12/31 号

投資家を犠牲にして経済再生なし

「2月危機説」が真実味をもって語られている。4月のペイオフ解禁を控えての金融危機回避策については、このコラムで「最後の一手」と題して既に書いた(10月8日)。私のプランでは厳格な貸出査定により主要行の資本不足額を12月末までに判定、一時国有化先、普通 株注入による一部国有化先、民間資本調達先に仕分け、再生・整理に乗り出しているはずであった。しかし、現状では当局の対応が不十分かつ遅すぎるために、小泉政権はいわば「自爆テロ」のような状態で2月を迎えるのではないか、と懸念する。わが国が先進国の一員ならば、市場に先んじて秩序ある早期処理を行うべきだ。もはや免許付与者の小泉首相自身が一刻も早く英断を下し、金融危機を回避するしかない。

東証一部上場企業の1割余りが株価100円以下という現状をみれば、既にわが国は「経済危機」に突入していると言うべきだ。それにも拘わらず企業・産業の整理淘汰が進まないのは、証券市場でマーケットメカニズムが十分働いていない中で、銀行が生命維持装置となっているからだ。証券市場では、正確なディスクロージャーにより投資家が判断を下し、将来性のある企業は買われ、不振企業は売られながら経営者が切磋琢磨し、企業も経済も成長するというダイナミズムが働くはずだ。株価低迷に苦しむ企業の再生や退場が急がれている今の日本経済にとって、何よりも必要な機能だ。

そのため、絶えず投資家保護の観点から情報開示などのルールを策定するなど、市場を育成しながら、その公正な運営を図り、さらに投資家教育なども一体的に行うことができるように、金融庁から独立した証券監督当局である日本版SECの創設を私は提唱している。そもそも今の日本には、トータルに責任を負う「ミスター証券市場」とも言うべき人がいない。企画と処分権限は金融庁、監視と告発勧告権限は証券取引等監視委員会、有価証券報告書審査は地方財務局といった具合だ。金融担当大臣はおろか金融庁長官や監視委員長も、フルラインの権限を持たず、ただひとり監視委員会の増員のみが行われている現状では全く力不足だ。

特に、現状では証券監督が銀行監督と同一の組織内にあるため、銀行のディスクロージャー不足などの指摘が行なわれず、銀行への投資家保護の観点がスッポリ抜け落ちたままなのは大きな問題だ。長銀など破綻銀行への投資家に対する銀行監督当局の弁明などは聞いたことがない。また破綻したそごうやマイカル、青木建設などへの債権は殆どの場合「要注意先」と分類され、監督当局もそれを追認してきた。このようないわば投資家への裏切り行為が繰り返されている以上、証券監督当局は銀行監督当局に向かって、投資家保護の観点から監督の強化を即刻勧告すべきだが、同一組織内に併存するわが国の体制下で行なわれた試しはない。

また、減損会計の導入は世界の流れだが、不芳業種での影響が銀行の欠損につながることを恐れてか、金融庁は早期導入に極めて後ろ向きであり、これも同一組織内に証券・銀行監督当局が併存する欠点のように思える。特定業種のために会計原則が歪められてはならないし、ましてや投資家を犠牲にして銀行救済を行って日本経済の再生があるはずもない。
この点について、「英国のFSAは銀行、証券、保険を同一組織で監督している」との反論をよく聞くが、英国ではそれぞれ歴史のある独立した自主規制機関などがブレア首相になって銀行監督当局と統合されたもので、お互いに指摘すべき点は遠慮なく十分に指摘できているはずだ。日本で同様のことが可能になるまでには、かなりの歳月がかかろう。

先の臨時国会で、小泉首相は野党議員の質問に答えて「銀行、保険、証券が一体的にサービスを提供する今日、証券監督だけを取り出して規制組織を作ることは適切ではない」と述べられた。金融庁が使ういつもの論理だ。金融の潮流は世界同一だが、米国など証券監督と銀行監督を切り離したSEC方式を採る国々で、監督の一体化へ逆戻りする動きは聞かない。公僕は組織防衛ではなく、日本経済再生に何が本当に必要かを考えるべきだ。