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週刊東洋経済「視点」-2002/08/03 号

投資家保護の基本に立ち帰ろう

米国で相次いでいる不正会計疑惑が提起した問題は、監査や企業統治という技術的なものには限らない。大統領、議会、市場関係者からさまざまな改革案が提示され、投資家を欺くあらゆる策略・手口に対して大幅な罰則強化で臨む法案が上下両院で成立し、強力といわれてきたSEC(証券取引委員会)はさらに強化される。全てに問われているのは、いかに投資家保護を図るか、という古くて新しい資本主義の哲学である。

わが国では「米国も理想ではなかった」と、満足げな声さえ聞かれる。では、日本は今のままで良いのだろうか。歴史は幾度もバブルを生み出してきたし、いつの世にも不正はある。民主主義の熟度は、不正を未然に防ぐこともさることながら、起きた不正をいかに社会の教訓となし得るかで決まる。三周遅れでトラックを走る陸上選手が、トップランナーの転倒を見て安心しているようでは、いつまでも三流選手のままでしかない。

三流選手の原因は利益相反にある。つまり、資本市場規制の究極の目的である投資家保護と、預金者保護や保険契約者保護とは目的が異なる。だから、資本市場当局と銀行当局、保険当局の間では利害が衝突する。例えば、銀行当局は預金者の動揺を考慮して時価会計や減損会計には慎重だが、投資家保護のためには財務実態の開示が優先だ。九八年三月末に有価証券の原価法評価を認めたことは、銀行当局の利益が資本市場当局の利益に勝った例である。石川銀行が増資した際、目論見書で債務超過が明らかにされないまま、預金を出資に転換する勧誘を受けた中小企業や高齢者は、預金者保護の名のもとに犠牲となった投資家である。米国のSECならば銀行当局を訴えてもおかしくない。銀行と生保間でのダブルギアリング、持ち合い容認も投資家保護に反する。また、銀行の引当てに関しても、日本でこそ引当不足が問題になっているが、健全性を重視する海外の銀行当局は常に積極的である一方、投資家保護の観点からは、引当ゆえの利益の過小評価は許されていない。

銀行、保険、証券が一体的に金融サービスを提供するのだから監督当局も一体が良い、という論理には、この利益相反の視点が欠落している。銀行や保険と同じように、証券でも子飼いの業者だけお行儀良くしてもらえば十分と言っているに等しい。しかし、業者行政は資本市場規制のほんの一部に過ぎない。

英国では、ブレアー首相が銀行、証券、保険の監督者を一体化した。しかし、シティのプロフェッショナリズムの長い歴史と伝統のなかで、投資家保護が銀行監督の犠牲になる惧れは微塵もない。日本では、現実に投資家保護がこれだけ犠牲になっている以上、資本市場当局を銀行、保険当局から引き離して、独立性の高い日本版SECを創設することが、投資家保護を確立する一番の近道である。

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