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文藝春秋-2月臨時増刊号

日本らしい豊かさを取り戻そう

文藝春秋 2月臨時増刊号

「ナスダック・ジャパン」や「マザーズ」などの具体化により、日本にも活きの良い企業が育つためのインフラが漸く整うかもしれない、との予感が強まってきた。思えば、私が衆議院大蔵委員会の野党席から「金融空洞化」について質問をし、大蔵省がいとも簡単にその事実を否定してから丸5年。また橋本前総理の意を受けて与党3党行革プロジェクトが今日のビッグバンの下絵を描いてからでも早3年。向かう方向は間違っていないはずだ。要は「今お金が余っているが、将来お金が必要になるかもしれない人」が「今お金が足りないが、おそらく将来お金が余る人」を正しく見極め、資金を融通する、これが金融の単純な本質。その根っこは、究極的には他の誰もできないことをできるかどうか、すなわち企業家の創造性・独創性にかかっている。

思い起こせば、かつてはそうした事を成し得た革新的経営者が結構身近にいたものだ。私は1950年、20世紀の丁度ど真ん中に生まれたが、同じ五黄の寅年の1878年、私の母方の祖父は宇都宮で生まれている。20世紀の約4分の3を生きた男だ。12人兄弟の11番目で名は「末次郎」。絵描きの道をあきらめさせられて就職した銀行に飽き足らず、32歳で養子縁組先を飛び出し、一念発起、栃木県初の証券会社「宇都宮ブローカー」を起こした。その後経営難に陥っていた印刷会社など地域企業を次々と買収のうえ再建し、会社を大きくしていった。私が幼稚園や小学生の頃、正月や夏休みに宇都宮の純和風平屋の母の実家に行き、渡り廊下を通っておじいちゃんの部屋で、広いきれいな庭をみながらお小遣いをもらうのが楽しみだった。また、かつては牛を飼い、牛乳も製造していたので、おじいちゃんの家では、時々真っ白で贅沢な「五右衛門風呂の牛乳風呂」にも入れてもらった。いくつも大きな夢を語り、元気で意欲にあふれ、人一倍努力家の典型的な地方企業家の姿がそこにあった。

古くは江戸中期の享保15年、大坂に世界初の証券と先物取引を行う堂島米会所がスタートしているように、地方にも先進的な技術を育てるしなやかな力が脈々としてあった。戦前の地方証券取引所も、かつては米国の「ローカル」同様、その地域の成長企業を育てる原動力だったらしい。どこからともなく集まる投資家と取引関係者が炬燵を囲みながら将来有望な地域企業について議論し、皆で育てていったという。
最近の平板なマスコミ報道の影響もあって、日本には革新的な経営者が少なく、育てる素地もない、と思われがちだが、戦後の日本も先般亡くなられたソニーの盛田昭夫氏や松下幸之助氏、本田宗一郎氏など偉大な経済人を大勢輩出してきた。今日の我が国の自信喪失状態は、ここ20〜30年間、世界の変化に国家政策と企業戦略が追いついていけなかった結果であって、ここで当分の間本気で思いっきり踏ん張って、凝り固まってしまった体質から脱却し元気な企業家が育つ土壌作りに成功すれば、日本もそう悲観することはないかもしれない。

山谷の落差の大きかった20世紀の日本。21世紀は、たとえゆっくりでも、着実に登り続けるようにしたいものだ。