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Voice-1999年11月

政と官の最適コンビネーション

Voice 1999年11月号

政策立案のパワーアップを

先日、オーストラリアに行き、政と官の象徴的な体制を発見した。それは、大臣室が国会のなかにあるということだ。首相も基本的に国会内のオフィスにいる。

日本は逆だ。大臣、すなわち立法府の人間が行政府のなかに入っている。独りぽつんと入り込んで、毎日毎日役人のレクチャーを受ける。「留置場に21日間いると、ほんとうに自分が悪いことをしたような気分になる」とはよくいわれることであるが、ミイラ取りが結局ミイラになって帰ってくるということではいけないと思う。

これからの日本の最重要課題は、行政府と立法府との関係をどうするのかということであると思う。これはまさに、国のガバナンス(統治)の根本なのだ。この仕組みをどうつくり変えるか。

これまでの日本では、役所が政策をつくり、考え、ついでに法律まで書いてしまっていた。政治化も役人に「法律の要綱をもってきてくれ」などという。しかしこれは、自分の本分を忘れた態度といわざるをえない。国会議員のことを英語でレジスレーターという。これは「立法者」という意味であり、あくまで決定は政治家が行うものであることを示している。そして失敗したら責任をとる。国民に対して最終的な責任をとれるのは政治家であり、役人は専門家として政策選択肢を示す。ポリティカル・リスクは、つねに政治家が負わなければいけない。

為替相場にしても、一人の官僚の発言に大きく影響されるということを、私たちは最近経験している。もちろん為替相場は基本的には市場で決るものであるが、影響力をもつのは官僚ではなく政治家でなければならない。

オーストラリアのある役人がいっていた。「自分たちは最終的には立法府の人の指示に従う。なぜなら自分たちは責任を国民に対してとれないから、選挙で責任をとる立場である大臣のいうことを聞くしかない」と。これがオーストラリアでは徹底しており、首相といっても大統領に近い大きな権限をもつ。イギリスのサッチャーやブレアもそうだ。イギリスでは予算などもほんの2、3人の大臣で決めて、ポンと発表し、翌日から施工する。ガソリン税が突然5%上がるといったことも現実にあった。そうとうな賭けかもしれないが政治家たる大臣、とくに首相が自分の決断で決める。

一方、日本はどうであろうか。昨年の「金融国会」では、私たちが「政策新人類」などと呼ばれて、何か新しいものが出てきたような言われ方をされた。しかし、これは本来あるべき姿のものが出てきただけのことであって、それをことさらにいうというのは、いかに政治家がこれまで政策を考えてこなかったということを高らかに宣言していることになり、恥ずかしいことなのだと考えるべきだ。

いま日本では、政治への無関心がよくいわれるが、私は意外に国民の政治に対する関心は高いのではないかと思っている。日曜日の朝、各局の政治討論番組を連続で見ている人は多いのではないか。以前「朝まで生テレビ」に出演した朝、一番の飛行機で地元の松山に帰ったときなど、「あれ、さっきまでテレビに出ていませんでしたか?」と声をかけていただいたことがあった。けっこう、有権者の方々はテレビの政治番組を見ているのだな、ということを実感したものだった。

私たち国会議員はこういった有権者に対し、自分の頭で考え、自分の言葉で語っていかなければならない。今度、政府委員制度が廃止され、副大臣・大臣政務官制が導入されることになったが、これは非常にいい機会になるであろう。政治家がどれだけの力をもっているのかが国民の目に晒されることになるのだから。

そしてこれを機に、政治家にも本格的に競争原理を導入していければよいだろう。いまは各党とも「選挙の際の党公認は現職優先」が事実上、原則になっているようだが、これからの時代、政治の世界だけが参入障壁を維持しているというのは許されることではない。各党は予備選挙を行うなどして、現職優先ではなく、新人も現職も公認権を争って有権者の前で議論をするような制度に改めるべきだ。そうした緊張感が政治家のモラールを高め、政策立案のパワーアップにもつながる。

立法府と行政府のいい信頼関係、協力関係を築くためには、官僚もまた、モラースを高めておかなくてはならない。再びオーストラリアの話になるが、議院内閣制であるのに行政府内にポリティカル・アポインティー(政治的任命を受けた人)と呼ばれる人が、けっこういる。彼らは首相府などに多く、政治家のためのブレーンのようなものだが、当然、民間からも採用できる。通常は役人がなることが多いようだが、民間から来ることもしばしばだ。ここには国家公務員試験を通った者だけなどという参入障壁のようなものはなく、つねに民間の人との競争があるから、官僚はいつも緊張感をもっている。競争原理がはたらくため、つねに自分のモラールを高める努力をしているという。オーストラリアの役人と話をしてよくわかったのは、彼らがパブリック・サーバント(公僕)としてのアイデンティティをもっているということだ。自分は何々省の人間だ、といったレベルのアイデンティティで働いているわけではないのだ。

日本においては、これまで明らかに官高政低の関係だった。この関係を、政治家は最終的に責任をとるというオウンリスクの仕事をし、役人は情報提供とアイディアを出す、という関係に改めねばならない。その方向に動き出したのが、昨年のトータルプランであった。われわれ政治家がリードして、役人と民間がいい協力関係をつくった。とくに金融国会では、民間は私たち国会議員のアイディアの源泉となった。霞が関以外のルートから多くの情報が私たちにもたらされたが、これをさらに活発にする意味で、非営利・独立のシンクタンクを政策的に育成し、活発な政策議論を促進することも、今後図られていくべきであると考える。

このように、民間も含めて、政治主導による行政府と立法府のいいコンビネーションをいかにつくっていくかというのが、二十一世紀の最優先、最重要の課題であると思う。

政治は国民の心の反映

官僚主導から政治家主導への転換が必要なのは、すでに述べたように、国民に対する責任を果せるか否かということにほかならない。政治家あるいは政党の行なった政策が誤りであったと国民が考えた場合、その政治家や政党は次の選挙で有権者の支持を得ることはできない。そしてそのとき国民は次に政権を任せる政党を探すことになるのだが、その際の選択肢がどれくらいあるかというのが、いわゆる政治体制というものである。いま、日本は政権交代の可能な政治ということで二大政党制をめざし、小選挙区制度が導入されている。

しかし私は、そもそもニ大政党制は日本にはすぐには合わない政治体制ではないかと思っている。なぜならば、日本の価値観はまだ二つに集斂されていないからだ。よくアメリカやイギリスと比較する議論があるが、単純な比較はできないだろう。これらの国はスタート時点からすでに主要な二つの政党で始まっているのだ。したがって国民の意識としても、二つのうちのどちらか、というものになっている。

しかし日本は、政党や政治哲学は二者択一の世界ではなかった。自民党一つをみても、さまざまな考え方の集合体なのである。共産主義、社会主義でもなければ、労働組合と一体になっているのでもない。また、特定の宗教でなければいけないというのでもない、それらを除いた「その他全部」が集まったものが自民党だったのである。私はこのような自民党を「偉大なるその他」と呼んできたが、この多種多様な価値観が集まった自民党を含めて、国全体のどこかに線を引いて二つに分けようというのが二大政党制というものなのである。しかし、ここにそうとうな無理が出てくるのは明らかだ。哲学ではなく、自民党に選挙で勝つことだけを目的にできた新進党があっという間に空中分解したことは記憶に新しい。

したがって二大政党制をめざすにしても、ある程度自然の成り行きで変るようにしないといけないだろう。政治というのは国民の心の反映でもあるし、そうでなければならないからだ。むしろ、細川元首相が最初に主張していた「穏健なるも多党制」というものが自然であるように思う。

しかしいずれにせよ、いまの日本の政治は、方向としてはいい方向に行きつつあるといえよう。政治家に対する国民のかねてからの願いや期待は、第一にはもっと政策議論を活発に行なって私たちの不安や不満を解消してくれ、第二には、もっと金にクリーンになってくれ、というものだろう。そしてこれらを解消するために、政治資金規正法の強化や今回の政府委員の廃止などが行われた。オーストラリアでも改革が成果を上げるまでには15年から20年かかっているという。時間はかかるかもしれないが、政治家は自分の頭で考え、自分の言葉で有権者に訴えかけて対話をしていく努力を、もっと意識的に続けていくことが何より大切である。

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