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中央公論 1995年2月号掲載

金融空洞化対策待ったなし

(中央公論 1995年2月号掲載)
世界の情報をいち早く集めて的確に分析する金融センターがすでに東京から脱出し始めている。いま手を打たなければ間に合わない。いまなら間に合う

いま何が問題か

 平成五年七月に衆議院議員に初当選してから一年半。小選挙区比例代表並列制導入等により、海部内閣以来の懸案であった政治改革の形は整ったものの、この間に、日本の政治の内外での評価はさらに低下したといわざるを得ない。たび重なる政権交代と、政治家による意味不明な離党騒ぎや、政党の離合集散がもたらした国民の政治不信と海外の日本政治に対する信用の失墜は、計り知れないものがある。選挙区で定期的に行なっている街頭演説を聞く市民の視線に、このところ何か無関心さともあきらめともつかぬものをどこかに感じるようになっているのは私だけだろうか。

 じつは、いまほどわが国が経済・社会政策を中心に多くの政策的な分かれ道にさしかかっている時はないような気がする。「本格的な国際化社会の到来」、「かつて経験したことのない超高齢化社会を迎える日本」、「円高などによる産業の空洞化の進展」、「潜在成長率の下方シフト」などが指摘されながら、じつはこうした問題がもたらす政策的な意味を正確に読み取り、適切に、それも根本的に新しい長期的視野に立った政策対応を、日本の官僚も、そして何よりも政治家が十分行なっているとは思えない。自らの守備範囲での責任遂行に没頭する役人や、会社や業界の生き残りに専念せざるを得ない財界人ではできない確かな判断と政策作りを、いまこそ政治家が行なわなければならないのに、新選挙制度導入のもとでの党の公認争いをはじめ、政治家としての生き残りに血道を上げている。自民党に勝つためだけに作られたも同然の新進党では、政党結成が決まってから政党の理念作りをするという本末転倒なことが行なわれ、なかんずくまともで優秀な一部政治家も、日本の進路を示し、国民をリードするという政治家本来の仕事をしていないのが実情なのだ。「哲学や中長期的政策ビジョンのある政治家」を待望する論調がこのところとみに目立つことに、私たち政治家は大いに反省しなければならない。

 私はかつて日本銀行や経済企画庁で仕事をし、80年代初頭のアメリカに2年間住みながら、産業の競争力回復や国家としての自信取り戻しに腐心するレーガン政権やアメリカのビジネスマンや学者たちの姿をみてきただけに、いま、日本の国家としての将来に少しでも不安を感じないようにしなければならないとの思いを募らせている。「いま手を打たなければ間に合わない、いまなら間に合う」そんな気持ちだ。アメリカの産業が活力を取り戻し、韓国、台湾、シンガポールなどアジア諸国のキャッチアップが目覚ましい一方、日本の産業経済に一向に力強い動意が窺われない。財政事情はいよいよ厳しく、予算獲得に奔走してみたところで所詮は2〜3パーセントの伸びの世界。日本の産業が海外に対しリードを保ち、新たなパイオニア産業・企業を生み出していくためには、先端技術開発やニュービジネス創出が不可欠であることは論を持たない。「科学技術大綱」においても科学技術予算を早期に倍増することを謳っているが、比較的高めの最近の予算の伸びを前提にしてさえその目標達成に九年かかる。欧米並みに対GNP比率を1パーセントにまで引き上げるには約40年かかってしまうのだ。また、「科学技術関連予算でも建物は『建設国債』が適用されるが、コンピュータなどの設備には適用されない」といった財政の不毛な枠組みの中に止まり、さらに弾力性を喪失した金融構造を前提にしていては、いつまでも同じところで悪循環を繰り返すだけだ。いや、むしろ相対的には他国に「負け」を重ねていくことになってしまうかもしれない。戦後日本経済を引っ張ってきた銀行への資金の流れは大幅に減少し、貸し出しも伸び悩んでいる。その一方、大方の余剰資金は保険、年金、郵貯に流れ、こうした資金が新たなフロンティアを切り開く企業やプロジェクトに有効に活用されていないことこそが現在の大きな問題だ。

 超高齢化社会到来前夜の今日、民間貯蓄率の高いうちに、こうした潤沢な資金を日本の産業経済の新たなる土台作りに活用し、さらに途上国を中心に海外でも有効に利用していかなければならない。その仕組み作りを考えることが緊急の課題だ。その意味からも、このところ頻繁に指摘されている、金融の空洞化からの脱却と金融・資本市場の活性化は、単なる一業界の問題ではなく、今や国家戦略のひとつの大きな柱として位置づけるべき問題との認識から、あえて筆をとらせていただいた。

もたつく日本の景気回復と好調な海外経済

 政府・日銀が景気回復宣言を出して半年近くが経ち、確かに状況は93年より少しは良くなったような気もするが、景気回復のテンポは非常に遅い。94年度の実質成長率も1パーセント程度ではないだろうか。景気回復の初年度でそんな低成長しかできないということは戦後なかったことだ。

 これに対してアメリカの景気は絶好調である。1991年初めに底を打ってからすでに4年間も景気拡大が続き、失業率は近年の最低水準を続け、企業も好収益をあげている。さらに太平洋の反対側でも、日本以外の経済は大変元気だ。韓国、台湾、香港、シンガポールのNIES(新興工業国)、ASEAN諸国、そして、12億の民を抱える中国でも、高成長が続いている。かつて日本で実現した高度成長が、いまアジアで起こっているのだ。
 加えて、東アジア地域の将来への展望も明るい。先のAPEC首脳会議では「2020年」がキー・ワードになった。いうまでもなく域内での貿易自由化の目標年であるが、上海を一人前の国際金融市場に育て上げる目標年ともなっている。マレーシアのマハティール首相の3台の公用車のナンバー・プレートはみな「2020」だそうだ。アジアの他国においては、21世紀に向けて、こんなに夢が膨らんでいるのに、日本では「高齢化のピークを迎える」とか「年金保険料がどんどん高くなり生活が苦しくなる」といったグルーミーな見通しばかりだ。

 日本の将来像だけがそんなに暗く重たいということでよいのだろうか。そんなはずはない。ここで知恵を絞り、いきいきとした活力ある日本経済を取り戻さなければならない。坐して衰退を待つわけにはいかないのである。そのために具体的な政策のビジョンを示すことこそ、いま政治に求められていることであり、その知恵を出せない政治家は今日失格とすらいえるだろう。私は、日本経済活性化のための重要な鍵のひとつが、いかに日本の金融・資本市場を効率的にそして活発に働かせるかというところにあると考えている。

金融・資本市場の機能低下

 現在、日本の景気回復が遅れているのは、これまで経済成長のリード役を果たしてきた設備投資が力強く回復しないためだ。それはアジア諸国等との競合激化や円高で日本の産業が空洞化しているためという見方もある。しかし、海外との競争と直接関係のない非製造部門でも、設備投資は出ていない。非製造業の設備投資は製造業の2倍もあり、これが活性化すれば景気は上向くはずだ。

 設備投資がなかなか元気にならない理由のひとつは、いうまでもなく、バブル経済の崩壊にともなって、資金の貸し手である銀行の体力も、借り手の中小企業の体力も疲弊しているからだ。地価や株価の下落で、借り手の担保力が低下し、投資案件があってもなかなか資金が調達できない。銀行も不良資産をたくさん抱え、リスクの多い案件には資金を出せない。資金の借り手と貸し手の多くがこうした状態にあるので、企業の設備投資も出ないし、銀行の貸し出しも伸びないということになる。

 実はアメリカ経済も同じような経験をした。1980年代の都市再開発ブームやリゾート・ブーム、そして企業買収ブームが弾け、企業は借金漬けとなり、銀行は不良債権をどっさり抱えた。そのため、アメリカの景気は91年初めに底を打ったが、その後しばらくはもたもたした状態が続いたのである。

 しかし、92年のなかばから様子は変わった。企業の設備投資が急拡大したのだ。ひとつには企業のリストラが進んで収益が上向いたからだ。これはいまの日本にも当てはまる。これに加えてアメリカの場合は、企業が株式市場で資金調達を進め、昔の高い金利の負債を返済できたということもある。リストラ効果に株式の発行による低コストの資金調達が加わって、企業の設備投資の拡大を支えたのだ。現在日本で株式の新規上場も増資もほとんど止まっている状況にあるのとは大違いである。

 実際アメリカでは新規事業者の株式発行が活発に行なわれてきた。よく知られているのが株式の店頭公開市場である「NASDAQ」だ。これを通じた株式公開は日本に比べはるかに自由だ。NASDAQへの企業の登録は、平均的にみて設立からわずか5年で可能となっている。2〜3年で公募増資した例も少なくない。これに対し日本では、株式公開済み企業でみて平均30年近くと、何倍も時間がかかっている。昭和40年以降に設立された新興企業でも20年近くかかっているのだ。アメリカとの差は日本の企業に発展性が乏しかったためではなく、株式の上場や店頭登録の審査基準が厳しいからだ。

 そうした制限、規制は、年金、生保、郵貯が集めている潤沢な資金を、日本経済の活力回復のために有効に利用することを妨げている。たとえば日本の生命保険業界は日本の株式全体の約12パーセントを保有しているが、将来の経済成長の卵ともいうべきベンチャー企業への投資はそのうち1パーセントにも満たない。これは未公開株へ投資したくとも、そのための制度的枠組みが、きちっとしていないためである。

リスク・キャピタルを育成せよ

 それでは具体的にどこをどうすればよいのか。アメリカでは投資家の自己責任が確立しているため、たとえばNASDAQへの登録の審査基準も正しいディスクロージャーということに重点がある。一方日本では、「投資家保護」という美名のもとに、利益が一定水準を超えなければ登録できない、といった規制色が強い。しかし株式に関して、そもそも「投資家保護」とは一体何であろうか。株式はそもそもリスクがあるから買うのだ。元本保証が欲しければ、銀行に預金するか、国債を買えばよいのである。にもかかわらず、利益などに関して審査基準を設け、始めからリスクを排除していたのでは、本当のリスク・キャピタルの育成はできない。もちろん詐欺や不正が許されないのはあたり前である。したがって、ディスクロージャーはきちんとされるべきだし、市場の監視も必要だ。しかし、企業の過去の業績に厳しい基準はいらない。

 どうして日本では、二言目には「投資家保護」が叫ばれ、すぐに規制の世界に逃げ込む体質ができあがってしまったのかということを考えると、政治家、マスコミも反省すべき点が多い。何か不祥事が発生するたびにマスコミが監督官庁たる大蔵省のバッシングを行ない、それに乗って政治家が、実情や経済的意味合いを十分確かめもせず、国会において徹底的に役人たたきを行なってきた。その繰り返しによって今日のような体質が作り上げられてきたのだ。そもそも株式やそれを使った金融商品は元本が保証されるものではなく、価格変動は当然である。たとえは悪いが、ちょうど競馬やパチンコでいつも勝つことが通常あり得ないのと同じである。にもかかわらず世間や政治家は事あるごとに「投資家保護」を持ち出してきた。今後日本において、株式市場を通じて十分なリスク・キャピタルの供給を促していくためには、われわれの意識もまた変えていかなければならない。

決め手は情報集積能力

 日本の金融・資本市場を活発化することは、単に景気回復を支援するという短期的な目的に止まらず、もっと長期的な観点からも、きわめて重要である。結論からいうと、21世紀に向けて日本経済をさらに発展させるためには、世界の情報を素早く効率的に集めて分析する必要がある。そして、その情報を集め解析することと、金融とは不可分だと考えられるからだ。少し詳しく述べよう。

 日本経済は、戦後、工業製品の世界への供給基地として発展してきた。しかし、欧米から技術を借りてきて、モノを国内で大量に安く作って海外に輸出するというキャッチアップの時代はもう終わった。しかも、かつては世界の市場経済から隔離されていた中国・東欧などの旧共産圏諸国が、冷戦構造の崩壊とともに一気に世界経済に参加している。その結果、労働をたくさん必要とするような製造工業については日本は競争力を失いつつある。日本からは技術と資本を海外に供給し、現地の労働で生産する、という海外生産が広範化してきたのは、ごく自然なことだ。

 では、国内では何が生き残り、これからさらに何が発展するのだろうか。そこで重要なのが金融・資本市場の機能である。そもそも金融サービスとは、お金にまつわる情報を解析することであり、どこでどんな商売をすれば儲かるか、そういう情報を集めることである。たとえば技術革新は世界中いろんなところで起こり、しかも通信技術が発達しているので短時間で情報が伝わる。できるだけ早く、できるだけ多くの情報を集め、分析、評価して組み合わせること、つまり、情報の集積過程が、これから日本経済が世界規模の経済競争を生き抜く決め手となるはずだ。

 加えて、優秀な金融・資本市場が国内にあるということは、国家の情報戦略上も重要なことだ。たとえば、証券会社が社債の引き受け幹事となる際は、プロジェクト成功の見込みをつけるためのミクロ情報や、マクロ経済や金利の見通しなど、じつに複雑多岐にわたる情報を集める。また、銀行が外国政府機関に貸し付けるソブリン・ローンなどの場合は、国際政治情勢がわかっていないとお話にならない。このように、世界の動きは金融サービスに反映され、したがって、世界の情報をいち早く集めて的確に分析できる金融センターを持つことは、国としても非常に大きな意義を持つ。

金融センターの国際競争

 欧米の政府や中央銀行は、以上のような金融を通じる情報の集積が国益に合致すると考え、80年代後半から金融市場の育成に躍起となってきた。たとえばドイツでは、91年、92年に取引所税と手形税を廃止し、自国での金融取り引きの活発化を図った。フランスでも、株式取引所の立ち会い時間の延長や取り引きシステムの改善に努めている。イギリスは、従来からロンドンの欧州の金融センターとしての地位を守ろうとしてきたが、93年には証券の流通税を廃止した。資金決済のシステムを再構築する中央銀行の動きも目立っている。

 一方、アメリカの中央銀行である連邦準備制度理事会は、欧州での金融市場の育成とアジア経済の勃興を眺め、昨年思い切った政策を決めた。97年からアメリカの大口送金・決済システムであるFedwireの稼働開始時間を、今の午前8時半から大幅に繰り上げ深夜0時半にすると発表したのだ。ニューヨークの深夜0時半は、ロンドンで午前5時半、フランクフルトで6時半、日本では昼下がりの2時半だ。これが実現すると、ヨーロッパの銀行営業時間はもとより、日本を含めてアジアの銀行営業時間にも、同時にニューヨークでドル決済ができることになる。

 現在、外国為替市場では米ドルが圧倒的シェアをもっており、ドイツマルクと円が交換される場合でも、ドイツマルクと米ドルが交換されて、その米ドルと円が交換されるというように、米ドルが媒介するケースが非常に多いようだ。しかし、アジア経済が台頭し、ヨーロッパの中央銀行が金融市場を整備すると、アジアとヨーロッパの通貨がドルを介さずに、直接交換されることになるかもしれない。となると、ドルの世界通貨としての地位が低下し、ニューヨークの金融市場が地盤沈下するかもしれない。地政学的にみても、勃興するアジアの経済力とヨーロッパの金融力が結びつくと、アメリカの権益に影響することは必至だ。しかし、アメリカがドルの送金システムの稼働時間を延長し、アジアの営業時間でもドルの最終決済がニューヨークでできるようになれば、今後もアジアの通貨の交換相手としては、米ドルが便利ということになる。このように、送金・決済システムの稼働時間の延長という、一見技術的な政策の背後には、世界の金融の主導権をめぐるアメリカの奥深い戦略が見えるのである。

 これに対して日本ではどうだろうか。金融の問題をめぐっては、やれ銀行と証券の業際についてどちらの言い分を認めるべきかだの、金融機関の不良資産の処理について誰にいくら負担させるかだのといった、いわば日本の金融村の「コップの中の嵐」的な議論に終始し、国益の観点からの議論がまったく欠落している。欧米での動きをみるにつけ、日本の将来のために、金融の戦略性について今改めて認識することが重要との思いを募らせている。

金融・資本市場活性化の処方箋

 それでは日本の金融・資本市場を活性化するためには、具体的にどうしたらよいだろうか。その対策としてはまず、銀行の不良資産問題を解決し、銀行が貸し出しを通じてリスク・キャピタルを供給する力を元に戻すということが重要だ。ただ、そのための即効薬はなく、一歩一歩問題を解決していくしかなかう。しかし、日本経済活性化は待ったなしの問題である。銀行の抱える不良資産問題の解決に時間がかかるのであれば、ほかの工夫もこらさなければならない。

 そこで、金融・資本市場固有のインフラ、すなわち会計制度や税制などの整備が求められる。たとえば日本では、いまだに取り引きに応じて有価証券取引税・印紙税・取引所税が課せられている。アメリカではこの種の取引税はなく、イギリスやドイツでも上記のとおり90年代初めに廃止された。日本でも早急に廃止すべきだ。廃止に反対だという人は、ほかの先進国に類のない税の合理性を世界に証明しなければならない。代替財源がないから廃止できないという理屈は、制度の合理性の吟味を無視した話だ。いまの取引税が国際的整合性を持たず国益を阻害している限り、それらは速やかに撤廃されるべきであり、その財源については予算全体の枠組みの中で考えるのが筋だ。

 次に情報インフラの充実を挙げたい。金融がいかに情報産業であるかということは、情報処理支出をみてもわかる。通産省の調べによると、わが国の産業が平成5年度に支出したソフト開発を含む情報処理経費の、じつに25パーセントを銀行・証券等抗議の金融業が占めている。この情報産業を高度化するためには、通信や情報処理のインフラ整備が大事だ。そもそも国民経済的視野からいっても、これからの公共事業は港湾や新幹線などのインフラ整備に限る必要はなく、高度情報社会のインフラ整備にこそ重点がおかれるべきだ。アメリカのゴア副大統領は、93年の就任早々、アメリカ全土を光ファイバーで結んで情報ネットワークを作る『スーパーハイウェイ構想』を発表したが、これも、情報力が21世紀に向けての経済力を決めると認識したうえでのことだ。アメリカはこのスーパーハイウェイを海外とも結ぶ予定だが、アジアのセンターとして東京ではなくシンガポールと結ぶという。シンガポールで通信・情報処理のインフラ整備が進んでいるのに対して、日本では整備が遅れているうえに面倒な規制も多いからだといわれている。

 情報センターの東京からの脱出はすでに現実のものとなっている。ここ数年でいくつかの欧米大銀行が東京にあったコンピュータ・センターをシンガポールあるいは香港に移したという。アジア、アメリカ、ヨーロッパを結ぶグローバルな情報ネットワークは、大銀行の間ではすでに現実のものとなっており、今や24時間休まず、ロンドン、ニューヨーク、そしてアジアと、いつもどこかで金融取り引きが行なわれている。その通信面で、すでにアジアのセンターは東京から逃げ始めており、東京はアジアのひとつのローカル局になろうとしているのだ。

 ローカル局で何が悪いという考え方もあろう。しかし情報については経済学でいう『規模の経済』が働くため、集積のメリットが大きい。シンガポールがアジアの情報センターということになれば、世界の情報はまずシンガポールに集積され、そこから改めて必要と思われる情報が東京にくるということになり、東京は世界のそして時代の最先端から一歩遅れる。そうした事態を避けるためにも通信・情報のインフラ整備の促進が必要なのである。

 日本の金融・資本市場活性化策として最後に挙げたいのは、当局の規制のあり方についてである。先に述べたように、日本でのリスク・キャピタルの育成を促進するためには、株式の発行に関する基準などを速やかに見直すべきだ。社債の適債規準も同様だ。また、市場の整備という意味では、行政指導の透明性と迅速性の確保も求められる。金融は情報産業であり、素早く的確な処理が欠かせない。したがって、銀行が金融新商品を開発して、その適法性を大蔵省に問い合わせても、すぐ返事がくるかは保証の限りではないといった状態は、すぐに改めなければならない。

日本の強みを金融に活かせ

 今日すでに、日本の金融・資本市場は空洞化しており、これから活性化策をとっても手遅れだという悲観論がある。確かに東京市場において株式の発行や取引高はここ数年激減している。また、外国の企業のなかには、東京市場の上場を廃止する企業が増えている。しかし、これらにはバブル崩壊の影響も大きいので、ある程度割り引いて考えるべきだろう。より深刻な問題は、日本企業が債券発行などで資金調達をするのに、しかもその資金は結局日本の投資家から出されるにもかかわらず、海外の市場が使われているということである。また、ダイナミックなアジア企業が東京ではなく、ニューヨークで株式を上場するというのも、日本の金融市場がみすみす貴重な情報を逃しているというひとつの例である。

 さらに最近では、外国銀行や証券会社がスワップやオプションといったいわゆるデリバティブズ取り引きについて、アジアのセンターをシンガポールに移しているようだ。これも東京金融市場の空洞化の例だろう。日本の銀行・証券のなかにも、東京からシンガポールや香港に取り引きを移す会社がある。つい先日、東京には5人くらいしかいないといわれる(このこと自体すでに非常に寂しい話であるが)日本人のデリバティブズ商品開発者のひとりと話をしたが、その彼も近々香港へ移るとのことだった。そうした変化は、たとえば外国為替取り引きのボリュームにも反映されつつある。国際決済銀行(BIS)は3年に一度、世界の主要な市場の外国為替取り扱い高の調査を行なっているが、本年央に発表される調査では、ひょっとすると東京がシンガポールに抜かれるのではないかという市場関係者の声を最近聞いた。いずれの例をみても、情報の集積メリットを考えると、早く手を打って巻き返しを図るべきだ。

 残念ながら、この問題の責任当局である大蔵省には、事態の深刻さについて理解が不足している。昨年5月私は、この金融空洞化の問題について、衆議院の大蔵委員会において当局の考え方を質した。その際、当局から、「デリバティブズ取り引きについては、日本のマーケットがかなり成熟してきたのに対し、アジア諸国はまだまだ未成熟な面がある」といった趣旨の答弁を受けた。監督当局としての立場上、こういわざるを得なかったのかもしれないが、これが本音とすれば認識が甘いといわざるを得ない。

 このように悲観的な材料もあるが、日本の金融市場には強みがあるだけに、先にあげた処方箋を守る限り、巻き返しは十分可能だと私は考えている。その強みとは、なによりも日本に巨額の民間貯蓄があるということである。国内には資金を供給する多数の貯蓄主体が存在し、その貯蓄に関する情報は日本の金融市場が一番よく知っている。日本の投資家の金利変化への感度やリスク許容度などは、その市場の担い手が最もよくわかっているはずだ。歴史的にみても、ロンドンやニューヨークが世界の金融市場になったのは、それぞれの国に貯蓄超過があり、国内に多数の投資家がいた時だった。貯蓄超過は、経常収支黒字と言い換えてもよい。

 もちろん、経常収支黒字は十分条件ではない。オイル・ショック時の産油国は膨大な黒字を抱えていたが、金融市場はあまり発達しなかったし、70年代と80年代に日本と並んで黒字国であったドイツでも、金融市場はそれほど発達しなかった。しかし、産油国での貯蓄超過主体の数は、王族などに限られていたので、多数の参加者からなる金融市場が発達しなかったのも不思議はない。ドイツの場合も、国内の銀行は力を蓄えたが、金融市場を整備するメリットを当局や銀行自身が感じてこなかったのかもしれない。しかしそのドイツも90年代に入り金融市場の整備に本腰を入れ始めたのはすでに述べたとおりだ。経済全体の発展可能性に及ぼす情報と金融の意味を再認識したからだろう。

 日本は急速に高齢化社会を迎えつつある。貯蓄超過がいつまでも続く保証はない。日本経済に強みのあるいまのうちに、金融・資本市場の発達に政策の重点をおくべきだ。それは、短期的には景気回復を支援し、長期的には日本経済の空洞化を杞憂にしてくれると期待される。しかも、勃興するアジア経済へ日本の豊かな資金を円満に供給することを通じて、国際貢献すら実現するのだ。

 日本の金融の活性化の動きは、冷戦構造崩壊後の世界で、ビジネスのルールが共通化の方向に向かっているという大きな流れの中でもとらえる必要がある。難航したガット・ウルグアイ・ラウンドの交渉が、結局は決着し、WTOが設立される運びとなったのも、発展するアジア経済とともにグローバルな枠組みを作っていこうとする先進国の努力の成果といえる。混乱が続く旧共産圏経済をも、共通の国際ルールにとりこもうとする動きも目立つ。これが失敗すれば、旧共産圏が再び自由世界の脅威にならない保障はないのだ。日本はこうした動きを積極的にリードすべき立場にある。つまり、日本でしか通用しない特殊なルールに固執すべきではないのだ。本稿で考えてきた日本の金融・資本市場の活性化も、まさにその方向に即したものでなければならない。

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