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現代ビジネス-2012年5月21日掲載記事

「中央銀行の独立性」は民主主義の知恵だ!白川日銀への不信任を「日銀法改正」で実現するのは筋違い。(現代ビジネス)

 今回、独立性の高い原子力規制委員会を設置する法案を議員提案するに至る過程で、多くを学んだ。高度かつ危険な専門的技術で、軍事転用もできる原子力技術を規制するために、国際社会は規制組織の独立性を重んじてきた。昨年6月のIAEA(国際原子力機関)の対日調査団長も務めた英国原子力規制庁のウェイトマン長官は、本年4月の訪日時、独立性を付与されている原子力規制行政は、国民からの「信頼と信認(trust and confidence)」が決定的に重要であると、繰り返し述べていた。
 また、かつて米国原子力学会会長も務め、米NRC(原子力規制委員会)や日本の経産省などに籍を置いた事がある女性原子力専門家ゲール・マーカス博士は、「独立」は決して「孤立」を意味するのではなく、また、「独立性」は「透明性」に裏打ちされていなければならない、とも述べておられる。
 「独立性」を巡って、日本銀行法改正の動きが急だ。日本経済がデフレから脱却できないのは日銀による金融緩和が不十分だからで、政治の意思を反映できるよう、日銀の独立性を規定している日銀法を改正してしまおう、という話である。すでにみんなの党が日銀法改正案を国会に提出しているほか、自民党も改正案を出す方向で作業が進んでいる。
 日本経済が抱える本質的な問題の元凶を金融政策のみで解決できると考えるのは間違いだが、長期にわたるデフレの原因を日銀に求める気持ちは理解できる。そして、これまでの日銀が戦力の逐次投入的対応に終始し、説明も上手でないため、説明責任を十分果たしていないとの見方が多かったのも事実だ。原子力規制と同様に専門性が高く、政府の財源調達などに悪用されうる機能を持つために、独立性を与えられてきた。だが、その独立性を尊重されるために不可欠な、国民からの「信頼と信認」を日銀は失っているのではないか。
 だが、だからと言って中央銀行の独立性を簡単に反故にしてしまって良い訳はない。中央銀行が政治など外部からの圧力から独立していなければならないという仕組みは、歴史上、いろいろな失敗を経験したうえで生まれた、民主主義の知恵、資本主義の知恵であり、今となっては先進主要国の常識になったのだと私は思う。
 従って、中央銀行の独立性は、デフレ解消の単なる短期的な対症療法として安易に放棄してはならない。国家ガバナンスの重要な一部、民主主義のひとつの要素として、歴史的な意味合いをも踏まえ、深い議論をする必要があると思う。
 1997年に日銀法を改正した際、私はその作業の中心にいた一人だ。当時は橋本龍太郎内閣。橋本首相は省庁再編などの行政改革や公務員制度改革、政治改革に成果を残したが、彼が経済大国の首相として、先進国に倣って導入したのが、日銀の独立性確保を実現した平成9年(1997年)の日銀法改正だった。
 当時の日銀法改正の議論は、なぜバブルが起きてしまったのか、という反省から出てきた。先日亡くなられた三重野康氏が日銀副総裁だった1986年ごろ、「乾いた薪の上に座っているようなものだ」と主張して金利引き上げを模索したが、当時の政治は、利上げをすれば円高になるとの恐怖症から、それを許さなかった。「円高不況」の余韻が強く残っていた頃だ。結果、バブルの発生を許してしまった。
 そんな反省に立って、当時の与党である自民、社会、さきがけの3党が「金融行政をはじめとする大蔵省改革プロジェクトチーム(PT)」を立ち上げ、私もそのメンバーとなった。1996年ごろのことだ。この与党PTにおける激しい議論の末、同年6月に「新しい金融行政・金融政策の構築に向けて」という報告書をまとめた。それをきっかけに7月になって「中央銀行研究会」が橋本首相の私的研究会として発足した。誰が絵を描いたのかは分からないが、日銀法改正の話になっていった。
 かつてボリス・エリツィン氏がロシアの大統領になった時、経済危機に直面しながら戦う大統領選挙に勝利するため、通貨のルーブルを大量に発行したことがあった。そんなエリツィン氏を見て、今の時代になっても、政治家がこんな事をするのだ、と思ったものだ。結果、ロシアでは猛烈なインフレとなり、年金しか当ての無い高齢者が路頭に迷った。ルーブルの信用も地に落ちた。
 白川総裁は4月21日、米国のワシントンで講演し、「中央銀行の膨大な通貨供給の帰結は、歴史の教えに従えば制御不能なインフレになる」と述べた、という。政治家や一部経済関係者の神経を随分逆撫でする、間の悪い発言だった。学者的に言えばその通りだろう。だが、日本の現状はエリツィン氏のロシアとはまったく状況が違う。「失われた20年」の厳しい現実に直面し、焦燥感を募らせる関係者には、逐次投入にしか見えない量的緩和を続ける日銀は、信用ならない存在にまでなりつつあるからだ。
 しかし、言うまでもなく、政治家が口を挟めば何でもうまくいくというのは大きな過ちだ。既に国会に提出されている日銀法改正案では、政府が指示した物価変動率の目標、つまりインフレターゲットから大きく外れた場合、国会の同意を得て、総裁や副総裁、政策委員会審議委員を解任できる、とある。プロがダメだから素人が出ていって口を出せばうまく行くという発想がいかに危ういか。今回の東京電力福島第一原発事故への民主党政府の対応を見てきた国民は痛感しているはずだ。人事上の身分保障がなければ、日銀の幹部や職員は時の財務大臣や首相の顔色を伺うようになるだろう。バブルを起こした1986年と同じ事が繰り返されかねない。
 今、日銀に求められている事は、国民や政治家とのコミュニケーションも巧みにこなす金融政策のプロと呼べるセントラルバンカーを育てる事だ。また、国家としても、セントラルバンカーとして送り込む有為な人材を普段から広く育てる事が大切だ。
 日本経済が待ったなしの状況になっている今、このタイミングで、不信任案とも言える日銀法改正案を国会に出された白川日銀は、真剣に国民の信頼回復策を図らねばならない。
 日本経済の低迷が続き、デフレから脱却できない大きな理由は、グローバリゼーションが進む中で一向に縮まらない大幅な需給ギャップを前に、創造的な需要創出も、また、供給サイドに大胆に切り込む産業構造改革も政府が真剣に進めないことだ。従って、金融の一層の緩和は進めるべきだが、経済低迷をすべて金融政策のせいにするのは間違いだと思う。2007年参議院選挙後、官民ともに痛みの伴う構造改革を避けてきた結果が昨今の窮状を生んでいるのではないのか。
 まずはデフレ克服を、という人は、経済問題の根本治療をせず、病気で体温が下がっている患者に、風呂に入って温まれば治ると言っているようなものだ。白川日銀への不信任を、中央銀行の独立性を奪うことで実現するというのは筋違いだ。日銀も環境作りで協力する中、国を挙げて病巣の一つ一つを丁寧に切除、治療し、根本的に病気を治す対策を取らねばならない。それが構造問題の解決であり、まさに政治の仕事ではないのか。
 日銀法さえ改正すれば景気が良くなるような、短絡的な印象を国民に振りまくのは百害あって一利なしである。


http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32610

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