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日経ビジネス-2008年11月3日号掲載記事

ツーリトルの轍踏むな 〜1998年「金融国会」の立役者に聞く

北海道拓殖銀行など破綻が相次ぎ、日本が金融恐慌に直面した10年前。
ギリギリの危機回避に向け法整備に動いた「金融新人類」議員がいた。
当時の教訓から、世界は今何をすべきなのか2氏に聞いた。

 1998年の「金融国会」の時点でわれわれが考えていた資本注入プランなどの金融再建策、いわゆる「竹中プラン」で実現したのは2002年。竹中平蔵氏が金融担当大臣となって以降のことだ。金融機関の資本増強や再編など本源的な問題に切り込むまで、日本の対策はずっとツーリトル・ツーレイト(小さすぎ遅すぎ)と世界から批判された。
 主要7カ国(G7)財務省・中央銀行総裁会議などで緊急の対策を決めたこともあり、目先は恐慌をギリギリで回避したという状況だ。しかし、本質的にはなんら安心できる状態にはなっていない。実体経済への影響など、むしろ端的に表しているのが株価で、乱高下しつつも、あく抜けはしていない。
 ツーレイトと言われながら、日本が10年にわたって取った対応比べれば、今回の危機での欧米の対応は格段に早い。その意味では世界は」日本の経済に学んでいる。それでもなおツーリトル・ツーレイトになってしまう危険性はある。米国は公的資金注入の規模を7000億ドル(約70兆円)といいながら、実際には主要9行に対して2500億ドルの資本注入を決めたに過ぎない。マーケットは常に過剰に反応するので、説得力を持つ規模の資本注入を一気にやらないと、不安は収まらない。また、中堅中小金融機関の再編も手が着いていない。日本は十数行あった都市銀行が3つになった。米国はまだこうした再編に至っていない。

(一年では底は打たない)
 当時は散々、「日本発の世界恐慌は起こすな」と言われた。今回は米国発の世界恐慌は起こすな、と米国にも言うべきだろう。欧州でも資本注入が始まっているが、もう一段の大規模な注入がなければ不安は解消しない。
 実体経済への影響はこれからだろう。日本でも1998年の金融危機を乗り切って、実体経済が底を打ったのは2003年。5年かかったわけだ。今回の谷がどこまで深いのか見極めることが大事だ。日本のときに比べて米国の対応が早いとはいえ、どう考えても、実体経済が1年で底を打つことはない。
 実体経済を悪化させまいとして財政出動しても限界がある。タイヤに穴が開いたまま空気をいくら入れてもタイヤは膨らまないのだ。穴が開いたままで資本注入しても効かない。穴の大きさ、すなわち不良債権の規模をしっかり把握することが先決だ。当時、私は何度も小泉純一郎首相に手紙を送って抜本的な不良債権処理を求めたが、小泉首相は就任から1年間は踏み出せなかった。竹中さんが金融担当大臣になって、批判を浴びながらも、金融機関の病巣をえぐり始めたことで、景気はようやく底を打ち、反転した。中国経済が大きく伸びていたおかげで、日本の輸出が増えたことも景気底入れにつながった。開いた穴の大きさをいかに正確に測るか。私がデューデリジェンス(資産査定)をやれと言い出したのは1997年から98年にかけてだった。問題のすべては銀行の資産評価なのだ。銀行自身も監督当局も、それをずっとごまかし続けてきたわけだ。
 評価が間違っていたわけだから、98年3月期に投入した公的資金はわずか一兆8000億円程度に過ぎなかったのだ。当時、財務官だった榊原英資さんはそれで十分だといい、橋本龍太郎首相も「大々的にやらなければいけない」と言いながらツーリトルの対応になっ。た。しかも、すでに当時、市場では危ないといわれていた日本債権信用銀行や大和銀行などにも投入した。
 われわれは、明らかに存続できない銀行は淘汰し、生かせるものに資本注入すべきだ、と言っていた。金融国会の議論では自己資本がゼロにならない限り破綻させないという議論があったが、自己資本が2パーセントを割ったらもはや健全な銀行とは言えない。
 今回の問題の発端も、言うならば証券商品のデューデリジェンスをきちんとやっていなかったことに起因する。どうやって銀行の資産を正しく評価するかが焦点になっているという点では10年前の日本と同じだ。
 今、時価会計の凍結議論が急浮上している。国際会計基準審議会(IASB)で出ている議論は、売買目的に区分されている資産を満期保有に変更することを認め、時価評価の対象から外すことを可能にしようというものだ。ただし、勘定を振り返る段階で時価で評価するので、評価損はでる。
 しかもこうした振り替えを「まれなケース」だとしている。欧米で「まれ」とは原則やらないという意味だ。やる場合は恥を忍んでやるということだ。もちろん、証券化商品に値がつかないためにどんどん投げ売りになるという悪循環をいかに断ち切るかという問題はある。こうした市場価格のない商品の扱いを議論するのは分かる。

(株式の時価会計凍結は邪道)
 しかし、日本で議論が出ているような株式や債券の時価評価を凍結するなどという話は世界中どこにも出ていない。株式や債券には市場価格があるからだ。評価があるものをバランスシートに載せていて、別の評価にすると言うのは無理がある。
 米国は80年代に債権を(取得時の価格を帳簿価格とする)原価法で評価することを認めていたという。その結果、S&L(貯蓄金融機関)が経営危機に瀕したとき、経営者が損失。の拡大の認識が遅れ、損失が膨らむ結果になった。この反省から銀行が保有する有価証券を保有目的別に評価する会計基準ができたのだ。実態を隠すことはなんら解決にならないということは歴史が証明している。
 もちろん、銀行の貸し渋りをどう抑え、実体経済への影響を小さくするかは、政治家として極めて重要な課題だ。しかし、金融機関の健全性をおろそかにして、預金者保護や投資者保護に逆行することとは問題が違う。問題があるのに目を覆うようなことをしたら、経営者も実態を理解できなくなる。
 本当は金融機関としての体力が弱いのに自己資本比率を見かけだけ良く保っても、貸し出しの増加にはつながらない。貸し出し時に損失を被るリスクを個別の金融機関がどう評価するか、という問題だ。余裕ができたからといってリスクの高いところに無条件に貸すわけではない。リスクに高い企業にどうやって資金を回すのか、別途政治として方策を考えるべきだろう。
 98年の危機の時に、銀行が持つ株式について原価法と低価法の選択適用を認めた。銀行はそれで助かると言っていたが、実際には銀行経営が良くなるどころか、マーケットには疑心暗鬼が広がり、問題を抱えた金融機関に退場を求めていった。日本長期信用銀行などが破綻に追い込まれたわけだ。
 今、日本の銀行が欧米のように巨額の損失を証券化商品で負っているとは思わないが、国内経済のスローダウンで不良債権は確実に増えている。心理的にクレジットクランチ(信用)になっている。欧米で起きた金融の負のスパイラルを日本に持ち込んではいけない。金融機能強化法の復活は正しい対応だと思うが、資本注入予算総額の上限が2兆円では足りないのではないか。
そもそも株式評価益の45%を国際的な健全性の基準であるバーゼルUの自己資本比率に加味してくれと言ったのは日本の銀行だ。相場が下落して損が出ると、今度はやめてくれと言うのは主張が一貫していない。
私は、銀行が株式保有を完全にやめるのも選択肢だと思う。銀行が企業などの株式を保有していると、景気が悪くなって株価が下がった場合、銀行の資産も傷んで貸し出し余力がなくなる、という問題が起きる。同方向の影響を与えるこうした資産を持つことが、銀行経営上、正しいのかどうか。自ら「株式は持たない」と宣言する銀行経営者が出てきてもよい。
米国主導の金融の1つの局面が終わるかもしれない今は、日本の金融機関にとってある意味ではチャンスだ。世界に通用する金融サービスを提供できるかどうかが問われることになる。経営のグローバル化をどうするのか。海外事業のリスクを評価する力をどう獲得するか。そのためには経営スタイルを変えないといけない。過去10年の日本の金融の反省は経営スタイルが変わらなかったことだ。

(官邸は非常時対応を)
自民党は麻生太郎首相が言うように、98年から2003年まで、危機を乗り越えてきた実績がある。この点をもっとアピールすべきだ。私が官房長官だった安倍晋三内閣では、日本版NSC(国家安全保障会議)を設置すべきだと考えていた。今はまさに経済安全保障をどうするかが問われている非常事態だ。役所の縦割りでは後手後手に回ってしまう。官邸主導と言ってきたのはこの縦割りを政治家が統合し、国益や国民の利益、世界の利益のための政策・戦略を政治の判断で作る体制が重要だと考えたからだ。
今、私が官房長官で、日本版NSC法が通っていたとしたら、国家安全保障会議の下に、経済金融危機対応チームを作る。首相を中心に官房長官、経済産業大臣、財務・金融担当大臣、外務大臣が加わって、役所を超えて議論する。国内金融だけでなく、欧米の金融情勢を一元的に把握し、日本として世界に貢献する方法を決める。日本は金融危機で10兆円に上る高い授業料を払った。この経験を世界に生かすべきだろう。