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読売新聞-2007年11月21日掲載記事

金融危機10年インタビューB 〜民間の人材 官に登用を〜

――1998年の金融国会で金融再生法の政府・自民党案を断念し、野党・民主党案を「丸のみ」した。当時、金融問題に精通した自民党の若手議員として民主党との調整役をしていた。
「日本長期信用銀行ほど大きな銀行を経営破たんさせた例は、世界でもなかった、よほど安定した制度でなければ処理は無理だったから、私はもともと国有化しかないと思っていた。しかし、政府案はブリッジバンク(つなぎ銀行)による処理だ。これでは受け皿につなぐまでに時間がかかり、不安定と思われた」
「そこで、一時国有化する民主党案と政府案を合体させた。『丸のみ』批判は『財・金の完全分離』も受け入れてメンツをつぶされた大蔵省などが主張しただけで、機能的な問題は起きなかった」
「(金融国会の前に)宮澤蔵相は長銀を住友信託銀行に救済合併させようとした。うまくいくならそれで良いが、長銀の資産査定が済んでいない以上、合併したら両方とも倒れるだろうと思い、国有化を考えた」

――大蔵省の金融行政が限界に達し、政治が前面に出た局面だった。
「大蔵省や銀行は、かつて100の価値を認めていた銀行の貸し出し資産が、実際には10の価値しかなくなっているのに、『80はある』と言い続けた。真実を認めなければ不良債権の傷口はどんどん広がる。しかし、銀行経営者も監督当局も政治も、過去の歴史を否定することになるから、認めることができなかった。特に行政は先輩たちが間違っていたとはなかなか言えない。だから政治がやるしかなかった」

――金融危機の本質は何だったのか。
「金融は、企業やプロジェクトの(融資が焦げ付く)リスクをどう評価するかがすべてだ。しかし、地価が上昇を続ける中、不動産担保を過信して、銀行は思考停止した。リスクをきちんと評価する経営手法が機能していなかった。金融検査も形式論だけだった。たまたま高度成長で露呈せずに済んでいたが、高度成長が終わった途端、問題が一気に噴き出した」

――日本の金融は10年たって変わったか。
「かなり進歩しただろうが、海外の銀行で日本の銀行を怖いと思っているところはない。金融本来の強みである情報を持っていないからだ。エネルギー資源など、他人が知らない情報を持っていることが金融を強くし、国民の役にも立つ」
「日本の銀行はバブルの教訓を生かし、米国の低所得者向け住宅融資(サブプライムローン)問題では大ヤケドをしていない。しかし、その分、スケールが小さくなっているとも言える。ヤケドせずに大きく伸びるビジネスモデルに変わらなければいけない。変わることができれば、世界が脅威に感じる存在になる」

――金融行政の現状をどう見るか。
「東京市場の魅力を増すためには、金融当局の出方を市場参加者が予見できる透明な規制が行われることが重要だ。しかし、現在の金融庁は予見性が低く、裁量的な処分行政に陥っているように見える」
「公務員は、官民の間を自由に出入りできるようにして、民間の優秀な人材を官に登用し、最先端を知る人に金融の監督やルール作りの企画をしてもらうのがよい。その代わり、違法行為には厳しい罰則を設ける。民間のズルするやり方を知っている人と、知らない人とでは、だいぶ違う。東大法学部を一番で出ても、常に最先端の話を知っておくというのは無理だ」

(聞き手・岡田章裕)