2000/06/01(木) NO.35号
いよいよスタート!
今日は午前11時から自分の選挙事務所開き。冷房がきかないぐらい大勢の方にお越しを頂きました。感謝!いよいよ選挙体制スタートです。
その前に会社の朝礼でのご挨拶を三ヵ所させていただく。その合間を縫って、久し振りに昨年亡くなるまで大変ご指導頂いた南江戸の故高村博雄さんのご自宅にご遺族を訪ねる。もともと確か長野のご出身ながら、松山商工会議所やこの地の労使関係の円滑化のためにご尽力された方で、若い人達がよく集まりお叱りを含めご指導を頂き、「高村教」の雰囲気すらありました。
その若者の中心的存在だったのが、松山での裏千家のお茶席には必ずと言っていいくらい出されるお菓子の老舗である「有家」の欣ちゃんこと有家欣治さん。わたくしの父の後援会の初代青年部長でもあった有家さんはこの冬、大動脈瘤破裂で急逝されましたが、高村家のご遺族に玄関先でご挨拶した際、「高村先生といつも一緒に私を心配してくださった欣ちゃんまで逝ってしまって・・・」と申し上げると、「うちの父が欣ちゃんを連れていってしまったのでは、とみんなで言っているんです」とおっしゃられましたが、わたくしはその言葉で胸がぐっときてしまいました。お二人のこれまでのお心に報いるためにも頑張りぬかねばなりません。
今日から25日まで、酒を断つことを心に誓いました。
その前に会社の朝礼でのご挨拶を三ヵ所させていただく。その合間を縫って、久し振りに昨年亡くなるまで大変ご指導頂いた南江戸の故高村博雄さんのご自宅にご遺族を訪ねる。もともと確か長野のご出身ながら、松山商工会議所やこの地の労使関係の円滑化のためにご尽力された方で、若い人達がよく集まりお叱りを含めご指導を頂き、「高村教」の雰囲気すらありました。
その若者の中心的存在だったのが、松山での裏千家のお茶席には必ずと言っていいくらい出されるお菓子の老舗である「有家」の欣ちゃんこと有家欣治さん。わたくしの父の後援会の初代青年部長でもあった有家さんはこの冬、大動脈瘤破裂で急逝されましたが、高村家のご遺族に玄関先でご挨拶した際、「高村先生といつも一緒に私を心配してくださった欣ちゃんまで逝ってしまって・・・」と申し上げると、「うちの父が欣ちゃんを連れていってしまったのでは、とみんなで言っているんです」とおっしゃられましたが、わたくしはその言葉で胸がぐっときてしまいました。お二人のこれまでのお心に報いるためにも頑張りぬかねばなりません。
今日から25日まで、酒を断つことを心に誓いました。
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