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やすひさの独り言 Yasuhisa's Soliloquy 今一番伝えたい考えや想いをお伝えいたします

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2001/09/08(土) NO.220号 

感慨深い50周年式典

 いよいよ50周年の日。まず11時から、金門橋近くのプレシディオ公園内にある日米安全保障条約を締結した陸軍の施設で、「旧日米安保条約署名50周年記念式典」が行なわれる。田中外相、中谷防衛庁長官、パウエル国務長官などが出席し、全員で100人ぐらいの式典。初めて聞いた田中外相の英語は立派なものだった。
 小学校時代だった60年安保、浪人時代だった70年安保。私も、時それぞれに思いがあっただけに、感慨深い。国家の要諦である安全保障をこれから日本はどうするか、国民感情を汲み取りながらも、政治がリードして再構築しなくてはならない。とりわけアジアの友邦の気持ちも考え、なおかつ先日東ティモールで感じたように、国際的な貢献にも十分配慮した検討と決断が求められよう。
 午後2時から、サンフランシスコ平和条約50周年記念式典が、50年前に署名が行なわれた同じオペラハウスで行なわれた。声楽曲2曲と両国の国歌が歌われた後、シュルツ元国務長官が開会の言葉。サンフランシスコ市長の発言に続き宮澤元総理がスピーチ。50年前、急遽英語ではなく日本語で演説をする事にした吉田茂首相のため、チャイナタウンに紙を買いに行き、筆で原稿をしたためた後に張り合わせ、署名当日、吉田首相が読んだものの、壇上でその巻紙がダラッと、まるで oversized toilet paper のようになってしまったエピソードを交え、ここに至る平和の足跡を振りかえる感慨に満ちた話しをされた。
 続く田中外相は日本語で演説。注目の元戦争捕虜への謝罪問題は「・・・こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、1995年の村山内閣総理大臣談話の痛切な反省の意、及び心からのお詫びの気持ちをここに再確認致します」との表現になった。敢えて言う必要はない、などいろいろ批判はあるが、ここでけじめとする限り、こうした事を表明せざるを得なかったように私は思う。筋を通しつつこれからは未来志向だ。
 パウエル国務長官の演説は極めて印象深かった。演説が始まるや、南アフリカでの「人種差別反対会議」から米国が撤退してしまった事を批判する野次が始まったが、落ち着いたもので、じっと野次を聞いた後、最後には「もう終わったかい?君がしゃべったのだから今度は私がしゃべる番だ」と言って演説を続けた度胸には感服した。そして、日本の今後の地域の安定と平和への一層の貢献への期待を強調することはもちろん忘れていない。