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やすひさの独り言 Yasuhisa's Soliloquy 今一番伝えたい考えや想いをお伝えいたします

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2001/08/29(水) NO.210号 

地道に活動をしている日本のNGO

 昨日午前10時55分成田発の便で、河野太郎代議士そして来年就職となる私の二男と共に、インドネシア・バリ島のデンパサールに向け飛び立つ。明日30日に行なわれる東ティモールの憲法制定議会選挙の監視、並びに日本のNGOの活動振りを学ぶ為で、今日午前中、ディリに到着した。飛行場にはUNマーク入りの国連機ばかり。自動小銃を持ったピースキーパー達(いわゆる多国籍軍)がいて、タラップから降りる時にはいささか緊張した。
 今回の東ティモール訪問は、外務省のお世話ではなく(外交機密費の無駄遣いはさせない!)、「ピースウインズジャパン(PWJ)」という日本のNGOに企画してもらった。東ティモールのディリでの出迎えにはNGOスタッフおよび、現地要人との面会などで面倒を見てくれる私の高校時代の米国留学以来の親友で、かつ現在UNICEFの東ティモール代表を務めている浦元氏が来てくれた。
 昼食後、同NGOが99年の大混乱時から取り組んできたプロジェクトを訪れる。リキサ県で行なっているブロック作製や家具作製等の大工技術などの職業訓練事業、家々が焼き尽くされた動乱直後に行なった住宅の復興事業、村のコミュニティホール(といっても木の柱とやしの葉で葺いた屋根のみの簡易公民館的建物)などだ。
 それぞれの事業資金の出所を聞いてみれば、職業訓練事業および住宅復興はUNHCR、コミュニティホールと人件費は米国のUSAID(米国援助庁)、資材費はUNHCRだという。「なぜ日本のODA予算ではないのか?」と聞くと「99年の独立を選択した選挙後の動乱時に東ティモールがまだ正式な独立国家ではないために日本政府の動きが鈍かった事」をまず挙げていた。私が自民党でNGO小委員会を作ろう、と思ったのも、日本の援助外交が往々にして官僚的で、緊急人道上今すぐ必要だ、といった「実質基準」ではなく、やれ国交の有無だとか、正式国家かどうか、とか制裁中かどうか、といった「形式基準」ばかりが先行しがちなのだ。「今現地の人が目の前で困っている」ということだけでは動きが鈍い時が多く、結果として一国の外交政策としてはえらく薄っぺらいものになってしまってきたのが小委設置の一つの理由だった。
 せっかくの「草の根無償」も承認される事業規模(一千万円)が大きすぎて、スピーディにトタン屋根と柱になる材木を配るだけのシェルター的住宅復興事業などは対象にならない。またUNDPに渡したNGO向け資金は、現地東ティモール人の運営するNGOだけが対象だとか、一旦UNDPに渡した途端に先方の官僚的対応で手続きが煩瑣であったり、対象を裁量で狭められたりで、結局日本のNGOが使えない事もあるようだ。
 99年秋に復興させたトタン葺きの家を訪れ、中も見せてもらった。入り口の鴨居には最大政党、フレテリンの小旗。また「選挙に行って投票しよう」というポスターも入り口の壁に貼られていた。聞いてみれば、今回お世話になっているNGOの現地スタッフを一時期務めていた男性の家だった。
 夜、杉浦副大臣主催のレセプションに参加。国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)のデ・メロ暫定行政官、ノーベル平和賞受賞者のホルタ外務大臣のほか各国際機関現地事務所の代表、各国援助組織・団体代表、NGO代表など多数参加。日本の国会からは、東ティモール議員連盟の江田五月氏他二名も来られていた。杉浦副大臣の歓迎のご挨拶、江田議員の挨拶、そして私の乾杯の音頭と続く。「多くの東ティモールの人々の困難、苦しみ、犠牲なしにはここまで辿り着く事はできなかったはずだ。21世紀になって世界で初めて誕生する独立国東ティモールにとって重要な明日の選挙が成功し、憲法制定議会が9月15日に無事構成され、憲法制定後来年の前半に新たな独立国家が堂々と誕生する事を願い、乾杯!!」