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やすひさの独り言 Yasuhisa's Soliloquy 今一番伝えたい考えや想いをお伝えいたします

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2001/09/06(木) NO.216号 

日米関係50年の重み

 いよいよシンポジウムが始まる。シュルツ元国務長官などの開会の挨拶に続いて第一回全体会合。ベーカー現駐日大使のモデレーター役で、「歴代大使から新任大使へのアドバイス」と題してフォーリー、アマコスト、モンデール、ホジソン、インガソルの元大使に加え柳井駐米大使が壇上に勢揃い。マンスフィールド大使が入院中で欠席したのが残念だったが、歴代大使がそれぞれの思いを語ってくれた。こうして一同に並んで頂くと、米国政府もそれなりの大使を日本に送ってくれていたんだと思う。
 昼食時には宮澤元総理が講演し、50年前の条約締結式の唯一の日本政府代表のひとりとして、この間の50年を振り返って考えを述べられた。会場に当時アメリカ側から参加していた元国務省の職員がいた。今回、捕虜としての強制労働などへの賠償問題が事前にクローズアップされていて、会場から条約の条文を牽きながらなぜ賠償を放棄しなければならないのか、との質問が出されたが、宮澤先生は返答を明日の分科会に譲られた。
午後一番のセッションは宮澤、シュルツ、栗山、アマコストのヘビー級パネル。二番目のセッションは東京と衛星で繋いでの二元会合。40歳代前後のメンバーで、なかなか活発な議論が行われ、良かった。河野太郎代議士がいつもながらの「過激」な発言をしていたが、アメリカ人の間では評価が高かった。
 夜はシュルツ邸にて夕食会。サンフランシスコ湾を見渡す地上30階ぐらいのすばらしいペントハウス。米国側は歴代駐日大使に加え、サンフランシスコ市長、ペリー元国防長官などシュルツさんに近い人達。日本側は宮澤元総理、小林陽太郎経済同友会代表幹事などで、双方合わせて30人程度。食事の後、全員が丸くなって約30分、日本の将来などについて議論。こうした議論の時間を作るのがアメリカ流の知的レベルの高さで、日本がなかなか真似のできないところだ。