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やすひさの独り言 Yasuhisa's Soliloquy 今一番伝えたい考えや想いをお伝えいたします

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2001/12/19(水) NO.242号 

アフガン到着、ドスタム将軍と会談

 朝9時、イスラマバード空港からチャーターした9人乗りの国連の双発機でアフガニスタンに向け出発。快晴だ。途中給油のため、昨日行ったペシャワールの空港へ立ち寄る。同空港離陸後10分も経たないうちに国境を越え、アフガン上空。激戦が続くトラ・ボラ地区を左下に見、右手奥には真っ白いヒンズークシ山脈を望む。バーミアンのある中部山岳地帯は一面の雪景色で、広大だ。日本の 1.7 倍の面積があることを改めて感じた。
 その山々がやっと切れた先がアフガニスタン第二の町、マザリシャリフだ。一回旋回後一気に着陸。フランス軍兵士が警備しているのが見える。ドスタム派のヌルラー外交部長、日本のNGO の現地駐在員のほか、テレビカメラまでが飛行機の前で出迎えてくれた。
 ドスタム派が用意してくれたトヨタランドクルーザーで外交部へとばす。まず、ヌルラー外交部長と会談。タリバンは教育から道路、医療、そして文化・伝統まで破壊し尽くし、これからゼロ以下からのスタートだ、とのこと。最大の特記事項は、「メディアの報道振りだという。」、ドスタム派は、ボン合意に基づく暫定統治機構に対し「閣外非協力」的立場だといわれているが、ヌルラー外交部長の言では、和平プロセスは支持、閣僚以上に3人出し閣内協力をしている。ただ、現状では自分達のこれまでの犠牲や貢献が公平に反映された体制とは言い難いので、6ヶ月後にできる移行政権では公平にすべき、との主張だった。
 会談後、ドスタム将軍との面会のため30分ほど離れたドスタム派司令部分室へ移動する。場所はそれまで確定しておらず、やはり警備上、最後まで教えてくれないことがわかった。分室の前は、バズーカ砲や自動小銃で武装した警備兵が大勢いる。緊張。
 靴を脱ぎ、絨毯張りの狭い応接間でドスタム将軍を待つ。程なく迷彩服に身を包んだ将軍が来る。大柄な方だ。ひげ面の中に穏やかな眼差し。意外に思った。将軍は、これまでいかに多くの罪のない子供や若者が命を落としてきたか、涙なしにいられない場面に何度となく遭遇してきたことを熱っぽく語り、こわもてとの評判とは異なり、むしろ人間味を感じさせた。ボン合意プロセスへの支持を表明する一方、移行政権では同胞の犠牲や貢献を公平に反映されるべきと明言。また、これは西部をおさえているイスマイル・ハン氏、中部をおさえているハリリ氏も同じ考えだ、ということから、アフガン政局にも新しい権力構図ができつつあるな、と思った。PKOに関しては、「まだテロリスト達との戦争状態が実際は続いている。アメリカを含めた PKOの存在は不可欠だ」といっていた。
 会談後、西へ車で2時間、ドスタム将軍の出身地のシバルガンという町にある同グループのゲストハウスへ。途中、天然ガスのパイプラインが道路沿いに走っている。こうした資源などをこの国の発展にどう結びつけるかが勝負だろう。外務省や日本政府はこうした点をどこまで考えているのだろうか。ドスタム将軍の人間像を含め、百聞は一見にしかず、だと思うが。
 私が割り当てられた部屋は、暖房がきいておらず寒い。マイナス22度まで大丈夫、という松山で買ったダウンの寝袋で寝る。バッチリ暖かかった。