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やすひさの独り言 Yasuhisa's Soliloquy 今一番伝えたい考えや想いをお伝えいたします

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2003/11/30(日) NO.334号 

イラクでの二人の日本人犠牲者を悼む

 イラクで日本人2名が殺害された、とのニュースが飛び込む。イラク北部復興支援会議への出席途上の出来事、と聞き、私の知っているNGOメンバーか、と思いきや、2名とも外務省職員、それも、私たちが本年5月1日、日本の国会議員として初めてイラク、バクダッドを訪れた際に会った奥克彦参事官と井ノ上正盛三等書記官だと知る。大きなショックを覚えた。マスコミからの依頼もあって、イラク訪問時の写真とビデオを改めて見直すと、お二人との面会の模様がしっかり映っており、奥参事官の明るくはきはきした声も残っていた。こうしたテロリズムは断じて許すことはできない。心からお二人のご冥福を祈る。

 当時、奥参事官は、米復興人道支援室(ORHA)に長期出張中で、私たちとは日本出発前からピース・ウィンズ・ジャパンを通じて合流する段取りをつけていた。ORHAは、警備のため進入が完全に遮断されていた大統領宮殿にオフィスを構えていたが、奥参事官は、宮殿からわざわざ一キロほど歩いて、井ノ上書記官とともにチェックポイントまで出て来てくれた。直ちに我々の車でホテルに移動し、一時間余り、意見交換をした。イラク復興に関し、町の清掃や学校の文房具配布などを超特急で日本がすべき、など、熱く語ってくれた。隣で口数少なくニコニコされていた井ノ上書記官も印象深かった。

 報道によればお二人は、サダム・フセインの出身地ティクリートの南方10キロほどを移動中に銃撃されたという。「数台のコンボイ(車列)を組み、途中では停車せず、警護員を助手席に必ず座らせ、ひたすら目的地に向け走る」が原則だ、と言っていたNGOメンバーの言葉を思い出す。我々のバクダッドからの帰り、燃料補給のため、キルクーク近郊で途中停車せざるを得なくなった際、NGO代表が日本人の燃料担当スタッフを無線で「何で途中で止まるような危険なことをした?朝燃料をチェックしなかったのだろう!」と激しく怒っていたのが印象的だった。このような危機管理を熟知した二人でさえも、国際平和への命懸けの奮闘の中で、今回のような悲劇に巻き込まれてしまうほど、この地域はまだまだ危険な状態なのだ。

 しかし今回の尊い犠牲によって、イラク復興に向けての人道・復興支援の手を緩ませてはならないだろう。問題は、どのような機能を持った日本人支援要員をいつ、どこに何をするために送るか、だ。今回の悲劇を契機に、もう一回頭の整理をすべきではないか。その際、5月のイラク訪問時に私が提案した、北イラク・クルド人地区でイラ・イラ戦争当時おきた大量破壊兵器である化学兵器被弾の実態調査と、いまだに多くのクルド人が苦しむ後遺症治療のための医療チーム派遣も、選択肢の一つとして真剣に考えるべきではないだろうか。これまで、自衛隊の南部地域への派遣の是非にばかり関心が集中して来たが、今回の戦争勃発から既に9ヶ月経つ今日、日本による「顔の見える支援」は、ジャパンプラットフォームを通じたNGOによる支援と、ごく一部の自治体への援助くらいではないか。後は国連に資金拠出している程度だ。民生需要を中心に人道支援、復興支援のニーズは変わらず存在していることを忘れてはいけない。事は急ぐのだ。奥参事官達の思いを達成しなければならない。

合掌。