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やすひさの独り言 Yasuhisa's Soliloquy 今一番伝えたい考えや想いをお伝えいたします

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2006/02/14(火) NO.426号 

スーダン南部に「平和の定着」を見る(2月14日)

 11日(土)、朝から松山で走り回り、夕方には小規模作業所の皆さんと勉強会。障害者自立支援法の実施に関して注文を受ける。最終便で伊丹へ、さらに関空に移動し、23時過ぎの便でドバイへ向かう。

 ドバイからカタールの首都ドーハに飛び、大使公邸で朝食をとりながら中東情勢等について意見交換。アルジャジーラの放送局を見た後、昼の便でスーダンの首都、ハルツームへ飛ぶ。高校生時代にAFSで米国留学を共にした、現ユニセフ日本代表の浦元氏の提案もあって、16、17日のエチオピア・アディスアベバで私が議長を務める「TICAD平和の定着会議」での議論を深めるため、直近で和平合意に至り、目下「平和の定着」に向け努力が行われているスーダン南部情勢、「平和の定着」状況を自らの目で確かめるのが目的。

 ハルツーム空港に降り立つと、沢山の報道陣と出迎えの人だかり。私のためか、と思いきや、何と、パレスチナのハマスの一行がスーダン政府と意見交換のため同じ便で到着したところだという。私の方は、スーダン政府の外務副大臣が出迎えてくれる。

 ハルツームの国連事務所で、ダ・シルバ国連スーダン特別代表代理を中心に、国連機関、世銀等の代表からスーダンにおけるPKO組織であるUNMIS( UN Mission in Sudan ) から見たスーダン情勢についてレクを受ける。かなり緊密な連携が図られている感じだ。が、状況はダルフール地域の混迷が深まるなど、重たい。

 翌13日朝8時過ぎに、ユニセフ・スーダン代表・チャイバン氏、ユニセフ日本代表・浦元氏と女性スタッフ、外務省国社部の担当課首席事務官、大使館から2人、そして私と秘書官の総勢8人でチャーターしたUNのビーチクラフト機に搭乗、いざスーダン南部の首都ジュバへ向かう。南部では、昨日からコレラ発生との情報で緊張が走る。

 まずはユニセフの事務所に、ジュバで活動中の各国連機関の代表を交え、昼食をとりながら情報交換。その後、ロロゴ・避難民帰還のためのトランジット・センターというキャンプに移動。避難地からふる里に戻る途中の施設で、話を聞いた皆さんからは、希望と不安の気持ちが語られる。避難民を輸送するナイル川の船着き場も見る。どこを走っても「UN」とかいた国連関係のトヨタランドクルーザー以外の車は殆ど見ない。いわば、地域全体が国連によって下支えされている、という感じだ。国連なしでは、地域社会はすぐ崩壊しそうにも見える。その後、南部政府教育相と面談後、再びチャーター機で小一時間、当初首都となるはずだったルンベックへ移動。

 ルンベック到着後、まず全寮制女子小学校での日本政府からのユニセフ経由で送る教科書の贈呈式に臨む。その後、宿泊施設である "AFEX"内部にて、在ルンベック国連機関関係者、南部スーダン政府関係者等との夕食会。主賓の州知事は率直に現状を語ってくれ、予想以上に南北融和や包括和平合意(CPA)の履行が様々な問題を含んでいることを知る。

 ユニセフの日本人医師が「スーダン南部は世界の病気の宝庫」と言っておられたように、マラリアなどの危険性は高いようだし、地域に電気も水道も何もない。しかし、ジュバの援助関係者が言っていたように、AFEX 内のテント型宿泊施設にいると、シャワーも西洋式トイレも網戸もあり、食べ物も安全そうで別世界だ。

 今朝、ルンベックから小一時間離れたアメール村のコミュニティー・センターを見る。避難生活から戻った村人達が、ユニセフの全面バックアップの下で学校での教育、井戸水の提供、予防接種の医療提供など、皆で力を合わせてコミュニティーづくりに励む姿をつぶさに見る。井戸など、日本からのユニセフ経由無償資金も入っている。村人達は皆前向きな姿勢で、特に、86年に一旦ケニヤに避難したものの、2000年にはふる里に戻って以来一貫してリーダーとして村づくりに当っているガブリエルという青年の使命感に燃えた表情に感動する。

 空路ハルツームへ戻る。アコル外相と会談の後、ユニセフ常駐代表公邸にて、レセプション。挨拶に立った私から、全てのアレンジをしてくれたユニセフに感謝しつつ、今回のスーダン南部視察により、国際社会が国連を中心に、地域住民と共に各機関の連携の下で様々な条件整備を行いながら「平和の定着」に努力している姿に心を動かされた事を申し上げる。スーダン内の既存国連機関スタッフ2000〜3000人に加え、PKOであるUNMIS傘下で目下約1500人、将来ピークには3000人にもなる人々がスーダンの復興、平和定着に向け力を合わせる姿を見ると、紛争地域での国連の役割を再認識する。ただ、挨拶の最後で指摘した事は、PKO予算の 19.5 %(国連分担率と同じ)を負担している日本のスーダンにおける存在感の低さだ。UNMISスタッフ1500人のうち、日本人は目下たった3人だという。たった0.2 %のウェイト!これは全世界で展開中のPKO活動に言える事だろうし、おそらく、他の国際的な活動の多くにおいて、日本のウェイトはこの程度かもしれない。国際機関、国際社会で通用する人材育成が必要な事は論を待たず、今後早急に対応すべきだが、それより以前に、「日本」ないしは「日本人」そのものの国際性が問われているようにも思う。しかし、国連常任理事国入りを目指すなど、国際貢献に力を入れようと言うならば、教育制度を含め、日本社会全体を作り直すくらいの大手術を行わないといけないように思う。