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やすひさの独り言 Yasuhisa's Soliloquy 今一番伝えたい考えや想いをお伝えいたします

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2014/01/08(水) NO.784号 

幅広い国民との対話こそより良い規制への道

 昨年12月26日付のメルマガでもお伝えした通り、12月25日、自民党・原子力規制PT座長の私と事務局長の吉野正芳代議士の二人は、原子力規制委員会の田中俊一委員長と面会し、我がPTの「緊急提言」に基づき、原子力規制行政強化について意見交換を行なった。これに関し、これまで読売、産経、朝日の各紙が社説で取り上げ、テレビ等でも報道があった。一定の評価をしてくれたものもあったが、「独立性に関する自らの主張に反する」との論調で、我々の行動を批判する論調も多く見られた。

 しかしこれは、これまでの「安全神話」、「規制と推進の混在」の反動による拒絶反応的な批判に過ぎず、グローバルスタンダードから完全に外れてしまっている。こうした誤解や理解不足に基づく批判に対し、今日は敢えて、改めて我々の真意を説明し、国際的な常識を踏まえた評価を改めてして頂きたいと思う。

 我々自民党の政治家二人が規制委員長と面談した、というだけで、「原発再稼働などを求める与党の圧力が強まる」、「規制委が掲げる独立性が問われる」、「政権に戻った途端圧力とはご都合主義的」などと、厳しい論調が多く聞かれてきた。今回の緊急提言と面会の主旨が全く理解されていない。

 確かに、そもそも規制委に強固な身分保証を法律で付与し、独立性の強い「3条委員会」にしたのは我々自民党だ。当時与党民主党は、野党時代には「3条委員会」方式の規制組織を創設する議員立法を3度も提出しながら、与党になるや、事もあろうに独立性の全くない環境省の外局としての「原子力規制庁案」を掲げて来た。

 しかし我々が作成した法案では、原子力規制委員長は強固な身分保障に守られ、政治家や政権の経済政策等から独立し、規制に関する判断において決して外からの影響を受けないものとなったので、例え総理であっても政策の中身を理由に罷免することはできず、誰に何を言われようと最終的には純粋科学的、技術的判断による独立した規制行政が法的に担保されたのだ。委員長は、例え国会議員と面会し、そこで何かの申し入れ、要請、強要を受けても、理にかなっていなければ全て却下することができるし、そのことで何の不利益も被らないという、全く新たな規制環境が我々の法律によって与えられたのだ。

 しかし「独立性」とは「あらゆる考えに耳を傾けたうえ上で、独立して判断する」事であり、決して「独善」や「孤立」とは違うものだ。欧米の規制当局者は、ごく日常的に原子力事業者や国会議員などと広範に意見交換を行っているという。従って、単に意見交換をした、ということのみを持って「圧力をかけた」、「独立性を脅かした」などというのは、世界の常識を知らない的外れな批判なのだ。

 因みに、我々の「緊急提言」の末尾にも掲げた米国NRCの「良い規制の原則」(
http://www.janus.co.jp/essays/marcus/goodregulation-j.html#goodregulation
)と称せられる五つの行動原則では、まず、「開放性」の記述で、「議会、他の政府機関、認可取得者(すなわち東電のような原子力事業者)、市民、さらには海外の原子力界と開かれたコミュニケーション・チャネルを維持しなければならない」とあり、あらゆる関係者と対話を不可欠なもの、と位置付けたうえで、「独立性」に関する記述において、「全ての情報を客観的かつ公平に評価した上で最終決定」するとし、あらゆる利害関係者と対話をするが、最終決定は独立して行うことが明確に書かれている。

 その米国NRC(原子力規制委員会)のマグウッド委員から話を聞いた際、彼は「NRCの委員は、議会や議員から呼ばれれば、どこででも、誰とでも会って話をする、またNRC内でも、あらゆる意見を聞く、という風土がある」、とした上で、「委員の重要な仕事の一つに、職員が政治的なプレシャーやストレスを受けないようにするということもある。彼らが政治からも経済政策からも中立でいられるように、委員はより多くのコミュニケーションの機会を確立し、意見の調整とバランスの確保を行う」と語っていた。発足以来日本の規制委員会が、多様な関係者とのコミュニケーションを殆ど持って来なかった事が、国際的にも驚きの目で見られてきたところだ。

 今回の委員長との面談で私達が申し上げたかった最大のポイントは、「あらゆる関係者との間に、しっかりとしたコミュニケーション・チャネルを作り、各層から広く意見を聞く謙虚な姿勢を持ち、その上で独立した規制判断をして欲しい」ということに尽きる。当然、対話の対象者の中には「原発推進論者」もいれば、「脱原発論者」も含まれよう。強固な身分保障に裏打ちされた独立性をバックに、毅然としてぶれず、自らの専門的知識、経験そして高い識見に依拠し、しかし独善的、孤立的にならないで欲しい。それこそが我々が作った原子力規制委員会設置法の中心哲学なのだ。

 規制委は人材が不足し、財政面での制約もあるため、そうした体制面の充実こそ自民党の義務、との指摘もマスコミ報道にあった。実は、私達が規制委発足以来、多くの精力を注ぎ続け、ようやく昨年末の臨時国会で実現した原子力安全基盤機構(JNES)の規制委への統合こそが、そうした政策の代表例だ。

 公務員定数等の障壁がありながらも、内閣官房や規制庁スタッフと我々が喧々諤々の議論を延々行い、最終的には、公務員制度の限界や行革の縛りの克服に関し、内閣官房長官との度重なる議論を経て官邸の英断を得、不可能を可能にした。この点、「必要な対策を怠ってきたことへの反省」のなさを指摘した上、むしろ「態勢面の充実を図る事が政権党のつとめだ」だとするマスコミの批判の認識不足、理解不足は甚だしい。

 また、今回の緊急提言は、活断層の調査や規制基準の厳格化の中身について変更を迫ったりするものでは全くない。現在の規制委の会議では、往々にして合議の仕組みが機能せず、テーマを担当する特的委員の意見がそのまま規制委決定となっている傾向があり、最終判断に担当委員個人の考えが色濃く反映されてしまっているのではないかと危惧し、「合議制で行うべき検討ができていない」、「安全審査が法的に適正でない」との指摘を行ったまでだ。これも、緊急提言をしっかり読んでいただければ分かることだ。

 緊急提言のサブタイトルは「国民と世界からの『信頼と信認』確保を目指して」となっている。我々の目指すべきゴールはここに尽きる。原子力規制行政は、規制への国民からの「信頼と信認」があって初めて機能するのだ。そのためには、規制委員会だけが孤軍奮闘するのではなく、広く国民各層からの意見に耳を傾け、どうすればより国民に信頼される安全規制となるのかを、国民全体で考える態度が必要だ。委員長と単に面会した事をもって「政治からの独立性を侵した」かのような浅薄な批判をするのではなく、どうすれば国民の信頼が得られるか、という究極の問いに対し、マスコミもともに考える姿勢を持ってもらいたい、と切に願う。


<参考>自民党原子力規制PT『原子力規制行政強化に向けての緊急提言』
https://www.y-shiozaki.or.jp/contribution/pdf/20131204142144_vKvu.pdf