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やすひさの独り言 Yasuhisa's Soliloquy 今一番伝えたい考えや想いをお伝えいたします

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2009/02/17(火) NO.512号 

一遍さんは松山生まれ(2月17日)

 昨日も、一段と冷え込んだ青空の下、いつものように毎週月曜日朝のJR駅前街頭演説を行いました。松山の歴史に関連し、2月8日(日)に開催した明恭塾で訪れた一遍上人生誕の地・宝厳寺の話しをしながら、私がいつも演説で立つ場所のすぐ右前にある「松山市観光案内図」をひょっと見上げてみると、なんと宝厳寺が載っていません!市内の四国霊場札所は全て載っているのに、です。

 若者塾である明恭塾の第15回会合では、道後温泉本館から徒歩5分ほどの道後湯月町にある一遍上人生誕の地、宝厳寺を皆で訪れ、長岡住職から「一遍を通した人間の生き方」と題してご講話を頂く。初めて知りましたが、宝厳寺は湯築城の廃材で建てられたそうです。「念ずれば花開く」の詩で有名な坂村真民さんや初代子規記念館館長の和田茂樹さんのお墓参りを含め、境内散策も行いました。目的は、一遍上人が松山生まれの松山育ちである事を再認識し、その心に触れる事。

 実は一遍さんが松山生まれである事を私もかつては知りませんでした。数年
前、妻と朝の散歩をしながら、夜は些か怖くて歩いたことのないネオン坂を登ってみると、なかなか風情のあるお寺があり、フラッと立ち寄る。何と山門の前に、「一遍上人生誕の地」との石碑があり、びっくり。境内に入ると立て札に、国指定の重要文化財で、教科書で誰でも知っている一遍上人立像がここにある、と書いてあり、またまたびっくり。振り向くと、朝の庭掃除中のご住職がニコニコしながらこちらを向いておられました。「本堂に上がりますか?」とお誘いを受け、早速上がらせていただき、木像を拝む。感激。

 偶然な事に、私達が一緒に暮らす妻の両親は時宗だという事を発見しました。
何という奇遇でしょうか。以来、宝厳寺との親しいお付き合いが始まり、秋のお施餓鬼には妻の両親共々必ず顔を出しています。ネオン坂を映画のロケ地にしよう、と頑張っていたNPO法人「アジア・フィルム・ネットワーク」の友人達が宝厳寺駐車場で定期的に開く青空市にもしばしば足を運んできました。昨年は、やはり友人の桝形浩人さんら劇団P.Sみそ汁定食が「いっぺんの欠片」と題して演劇公演も開催されるなど、松山での一遍さん再考が少しずつ進みつつあります。

 全国的に松山、といえば、道後温泉、松山城、石手寺などの札所、などのスポットや正岡子規、秋山兄弟などが知られていますが、今後は是非松山生まれの一遍上人と宝厳寺にももっと光を当てるべきでしょう。