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やすひさの独り言 Yasuhisa's Soliloquy 今一番伝えたい考えや想いをお伝えいたします

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2009/02/04(水) NO.508号 

一遍上人悟りの地にて感ずる(2月4日)

 やわらかい春の朝日を浴びながら、選挙応援のため訪れた和歌山県新宮市内から、熊野川上流の熊野本宮大社を目指す。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の登録地、でもあります。昨年末、東京で出会いを頂戴しました九鬼宮司さんから、松山出身の一遍上人が本当に悟りを開かれたのは熊野本宮だ、とお聞きしたことをきっかけに、一遍さんの気持ちに少しでも近づくべく、今回訪れることにしました。また今週末の8日(日)には、第15回明恭塾を開催し、松山の若者たちと、一遍上人生誕の地である宝厳寺にて長岡住職のお話を聞く事になっています。

↓明恭塾の詳細はこちら↓
http://www.y-shiozaki.or.jp/utility/information/090127.html/

 熊野本宮大社鳥居前に到着すると、九鬼宮司が出迎えて下さる。早速説明をお聞きしながら石段を上がり、本殿にて正式参拝。熊野本宮大社は今でこそ高台にあるが、元々は直ぐ下の熊野川の中州にあり、1889年(明治22年)に水害で流され、移転したのです。旧社地・大斎原には「南無阿弥陀仏」との一遍上人名号碑が建てられています。

 水害による流出を免れた建物三棟が本殿裏に移築されており、特別に拝観させて頂きました。昨晩の雨で水分を吸収した檜葺きの屋根からは、朝日に当たって湯気が立ち登り、何とも言えない神々しさを感じました。真ん中にある社殿(証誠殿)が一遍上人が百日間参籠した社だそうで、私もその縁の下に坐って上人の気持ちを探る。

↓当日(2/4)の写真は過去のライブレポートから↓
(携帯)
http://www.y-shiozaki.or.jp/livereport/detail.php?id=1174
(PC) http://www.y-shiozaki.or.jp/livereport/detail.php?id=1174

 一遍さんは、延応元年(1239年)2月15日、伊予の豪族、河野通広の二男として松山にて誕生。父の命により13歳で出家、太宰府を中心に修行しましたが、25歳の時、父の他界を契機に再び伊予に戻り還俗、妻帯しました。そして、約10年後、再度強い決意を持って仏道に入り、「南無阿弥陀仏」との六字の札を貴賤一切の人々に配布して念仏をすすめる、いわゆる「念仏賦算」を始めたと言われています。しかし、一遍上人は心の悩みを一層深め、当時現世の浄土、自他救済の浄土と言われた高野山に赴き、さらに熊野詣でに向かいます。その途中、一人の僧に出会い、そのやり取りの中から必死の百日参籠を決意、悟りを開き、名も一遍に改めます。以来、正応2年(1289年)、51歳で亡くなるまで遊行賦算の旅に明け暮れ、悩める者を助け、病める者を救い、民衆に和と慈愛の心を説き続けた、と言われています。

 今の日本は、物質的には恵まれながらも、人々の心にはささくれが目立ちます。そして、先々に光が十分届いておらず、皆の悩みは多い、という思いを私は深めています。

 8日には、宝厳寺にてご住職のお話をさらにお聞きし、若者たちと一緒に、一遍上人の教えに深く触れ、私たちに何ができるか、共に何をすべきか、じっくり考えたいと思います。

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