2010/11/22(月) NO.625号
「やらせてみよう」ではすまされない(11月22日)
昨日、地元の松山市長選挙が告示となった。今回は、昨年の政権交代後初めての地元での大型の首長選挙。自民党・みんなの党が推す候補者と民主党・社民党・連合が推す候補者がぶつかる注目の構図となっている。昨今の国政の迷走による政治への全般的な危機感の高まりなどもあり、市内をまわっていても有権者の関心は高い。
国政では民主党政権の相変わらずのていたらくである。尖閣諸島の漁船衝突事件では、中国の圧力に屈して犯罪者を理由なく釈放し、日本の外交史に大きな汚点を残した。北方領土の問題では完全に足元を見られ、ロシアの大統領の訪問をまんまと許してしまった。同盟国アメリカとの関係がぎくしゃくしたままであることによるところも大だろう。これらの失政の根本には、菅総理自身がこれまで外交政策にほとんど関心をもたず、さして勉強もしてこなかったことがある。経験も関心もなく、難しい判断を支えるべき政治信条を欠いているのだから、リーダーシップなどとれるはずもない。
こうした民主党政権の本質を象徴するのが柳田法務大臣である。「個別の事案についてはお答えを差し控えます」と「法と証拠に基づいて適切にやっております」の二つの言葉だけで法相は務まると言い放ったのは周知のとおりである。しかし、これは単なる失言などではなく、彼の偽らざる本心であろう。先日の予算委員会でも私が、「毅然たる態度で指揮権を発動して(中国人)船長を起訴すべきではないか」と今後の政治的リーダーシップを求めたところ、「(これまで)指揮権を発動した事実はございません」と全く見当違いな回答。確信犯ですれちがい答弁を行っているのであれば、完全に国会と国民を馬鹿にしており、逆に本当に質問の意味が理解できなかったのであれば、そもそも大臣の職に就く能力と資質に欠けていると言わざるを得ない。
柳田法相は「20年近い(議員生活の間)、法務関係は一回も触れたことはない」と誇らしげに語っている。大臣の進退が大きく取りざたされているが、本当はこうした全くの「ど素人」を法務大臣という要職に任命した菅総理の任命責任こそが、問題にされるべきだ。こうした素人行政の重いツケは、大きな国益の損失となって国民に跳ね返ってきている。
数年前まで、選挙のたびに多くの有権者の方から「政治なんて誰がやっても一緒よ」という声を聞くことが多かった。しかし、ここ1年あまりの民主党政権の迷走ぶりを経て、めっきりそういう声を聞かなくなった。政治は誰がやっても一緒では決してない。「一度やらせてみよう」ではすまされない。中でも行政のトップというのは極めて難しく、責任の重いポジションである。人気や知名度だけでは到底さばくことのできない現実の困難な決断を日々下さなければならない。国政も地方行政も、その一つ一つが我々の暮らしを大きく左右するのだから、「今から勉強します」では困るのだ。
自分たちの生活を託すに相応しいリーダーシップと実行力を持っているのは誰か。選挙の度に、候補者の経歴・価値観・人柄などを慎重に見極め、正しい選択をしていかなければいけない。それは何よりも私たちが子や孫たちに対して負っている責任である。
国政では民主党政権の相変わらずのていたらくである。尖閣諸島の漁船衝突事件では、中国の圧力に屈して犯罪者を理由なく釈放し、日本の外交史に大きな汚点を残した。北方領土の問題では完全に足元を見られ、ロシアの大統領の訪問をまんまと許してしまった。同盟国アメリカとの関係がぎくしゃくしたままであることによるところも大だろう。これらの失政の根本には、菅総理自身がこれまで外交政策にほとんど関心をもたず、さして勉強もしてこなかったことがある。経験も関心もなく、難しい判断を支えるべき政治信条を欠いているのだから、リーダーシップなどとれるはずもない。
こうした民主党政権の本質を象徴するのが柳田法務大臣である。「個別の事案についてはお答えを差し控えます」と「法と証拠に基づいて適切にやっております」の二つの言葉だけで法相は務まると言い放ったのは周知のとおりである。しかし、これは単なる失言などではなく、彼の偽らざる本心であろう。先日の予算委員会でも私が、「毅然たる態度で指揮権を発動して(中国人)船長を起訴すべきではないか」と今後の政治的リーダーシップを求めたところ、「(これまで)指揮権を発動した事実はございません」と全く見当違いな回答。確信犯ですれちがい答弁を行っているのであれば、完全に国会と国民を馬鹿にしており、逆に本当に質問の意味が理解できなかったのであれば、そもそも大臣の職に就く能力と資質に欠けていると言わざるを得ない。
柳田法相は「20年近い(議員生活の間)、法務関係は一回も触れたことはない」と誇らしげに語っている。大臣の進退が大きく取りざたされているが、本当はこうした全くの「ど素人」を法務大臣という要職に任命した菅総理の任命責任こそが、問題にされるべきだ。こうした素人行政の重いツケは、大きな国益の損失となって国民に跳ね返ってきている。
数年前まで、選挙のたびに多くの有権者の方から「政治なんて誰がやっても一緒よ」という声を聞くことが多かった。しかし、ここ1年あまりの民主党政権の迷走ぶりを経て、めっきりそういう声を聞かなくなった。政治は誰がやっても一緒では決してない。「一度やらせてみよう」ではすまされない。中でも行政のトップというのは極めて難しく、責任の重いポジションである。人気や知名度だけでは到底さばくことのできない現実の困難な決断を日々下さなければならない。国政も地方行政も、その一つ一つが我々の暮らしを大きく左右するのだから、「今から勉強します」では困るのだ。
自分たちの生活を託すに相応しいリーダーシップと実行力を持っているのは誰か。選挙の度に、候補者の経歴・価値観・人柄などを慎重に見極め、正しい選択をしていかなければいけない。それは何よりも私たちが子や孫たちに対して負っている責任である。
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