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やすひさの独り言 Yasuhisa's Soliloquy 今一番伝えたい考えや想いをお伝えいたします

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2011/04/21(木) NO.654号 

絆の力で地域社会の再構築(4月21日)

 4月20日、宮城県被災地にて。NGOのJENの事務所で、何カ所かの避難所のためのミカン、ポンジュースなどの物資を降ろした後、JENが石巻市の釜地区で展開するコミュニティー支援活動の現場に赴く。

まずは炊き出し。住宅街にある建設関係会社の社長さんの好意で、その敷地の中でテントを張って炊き出しを行って、同地区内の住宅地の被災住民に食事を提供している。担い手はJENの募集に応じたボランティアで、女性の殆どが三重県の農業者だった。頑張る20歳代の若者も、愛知県と三重県からのボランティア。「与党も野党もなく、一体で復旧、復興をお願いしますよ!」と念押しされる。

 炊き出し現場前の道路端に座る高齢の女性2人に話しかけてみる。1人はこの団地にお住まいの夫婦2人の奥様、もう1人は、その女性の家の片付けを手伝いに来ている、と言う。九死に一生を得たご夫婦だが、特にご主人は、津波到来の際、庭の木の上に必死でつかまっていたそうだ。その下を車や家財、そして人間もどんどん流されていったという。

 JENは、この建設関係会社の建物の一部をコミュニティーの集いができる場所に仕立てようと努力中で、その一つが既に始まっている散髪サービス。覗いてみると、丁度高齢の女性が髪を切っていた。聞くと、この団地内に一人暮らし。津波が腰まで来たが、必死で二階に這い上がって助かる。しかし、食べ物もないまま水の中で孤立、屋根の雪を食べて水分補給をし、何とか3日目の午後、自衛隊のボートで救出されたそうだ。自衛隊員が病院に搬送すると言うのに対し、「私はお腹が空いているだけで、チョコレートでも何でも良いから食べ物さえくれればよい」と申し出を断った、と言う。元気な女性だった。

 その後、石巻市立湊小学校の避難所を見る。裏の寺の墓地には多数の車が墓石の上に覆い被さり、住職も亡くなっている。殆ど全ての教室が避難所で、水道がやっと4、5日前に復旧したところで、まだ電気は通っていない。避難者を動かすこともままならず、このままでは、小学校の再開も微妙と聞く。予想以上に傷は深い。

 陸路、つい最近再開した仙台空港に移動、夕方の便で上京。一次補正予算は28日提出、連休返上で成立を図る、と政府・与党は言っているが、余りにも遅すぎないか。1月17日の阪神・淡路大震災の後、平成6年度二次補正予算が2月28日に成立している。