トップ > やすひさの独り言

やすひさの独り言 Yasuhisa's Soliloquy 今一番伝えたい考えや想いをお伝えいたします

  • メールマガジン登録・解除
  • 全タイトル一覧
  • バックナンバー
2011/06/04(土) NO.663号 

大勢の皆様に、感謝

 加戸前愛媛県知事葬儀委員長の下で行われた松山での告別式に引き続き、昨日、東京・増上寺光摂殿における故塩崎潤自民党・塩崎家合同葬が谷垣自民党総裁の葬儀委員長の下で執り行われ、約1200人の大勢の皆様にご参列を頂きました。松山、東京合わせ、約三千名の皆様に亡き父を温かく見送って頂き、心から感謝申し上げます。

 父は松山に生まれ育ち、大蔵省に26年間、衆議院に24年間、合計50年間公職に身を捧げました。多くの良き出会いに恵まれ、霞ヶ関にあっては高度経済成長を支え、政治にあっては自民党単独政権の最後まで代議士を務め、良い時代に、とても良い人生を過ごさせて頂きました。家族としては、一日でも長く頑張って欲しい、と思いましたが、あと4日で満94歳だった大往生とも言えましょう。

 お酒をこよなく愛し、元来明るく、大のお世話好きだった父は、同時に人一倍努力家で、自らに厳しい人でした。仕事、勉強、体力作り、など、常にストイック、かつ徹底的に努力する人。欠かさなかった朝5時からの松山・城山登りも下りは70歳を超えてもいつも駆け足でしたし、好きだったゴルフも、「真夏の2ラウンド」を好んでやるなど、何においても自らに負荷を課すことが好きな男で、私にとっては、いつも怖い、しかし、仰ぎ見る存在でした。

 一方で、常に弱い者の味方をし、そのためなら損を覚悟でも信念を通す人で、私はそうした父を誇りに思っていました。かつて売上税に反対したのも、その一例です。

 また、父はさっぱりとし、割り切って拘らず、どこか一歩引いた所もありました。あと一年で永年勤続25年表彰、という時に政界を引退しました。かつて務めた二つの政務次官も、自分より若い議員に花形ポストは譲り、法務政務次官、外務政務次官という、当時は余り引き受け手のいない地味なポストに就きましたが、そのお陰で、法務、外務分野で得難い人脈と知識を得ることができたことを喜ぶタイプでした。

 言うまでもなく、何を話しても、最後は税制の話になるほど税制好きで、議論が熱くなりすぎ、失礼をおかけした方々が沢山おられたはずで、改めてお詫び申し上げたいと思います。

 「疾風に勁草を知る」。父が好んで揮毫した言葉の一つです。父は、おそらく私に対しては相変わらず、もっと努力せよ、頑張れ、と言い続けているものと思いますが、同時に、国難に直面する日本に対し、難問を見事に克服することにより、世界の中の勁草であることを自ら証明して欲しい、強い日本を復活させて欲しい、と思っているに違いないと思います。そして、そのために何よりも政治がしっかりしなければならない、との声を発しているように思います。身を挺して日本再生に邁進する決意を新たにしたいと存じます。

 父一筋に生きてきた91歳の母を含め、引き続き父同様にご厚誼、ご指導賜りますよう、お願い申し上げます。合掌。