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やすひさの独り言 Yasuhisa's Soliloquy 今一番伝えたい考えや想いをお伝えいたします

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2011/08/04(木) NO.671号 

本質を外す環境省「原子力安全庁」構想

 昨日、今日、新聞各紙は、原子力安全・保安院、原子力安全委員会、文科省の放射線モニタリング部門をそれぞれ経産省、内閣府、文科省から切り離し、統合して「原子力安全庁」を創設、それを環境省の下に設置する、という政府案を報道している。

「子ども手当」も廃止されることになったが、私は民主党政権、とりわけ菅内閣が、極めて重要なことを実行可能性等の熟慮を経ずに、思いつきで決め、問題が出ると直ちにいとも簡単にギブアップ、国民を振り回す悪弊をとり続けていることを予算委などで批判してきた。今回はその真骨頂のようなものになる予感がする。

 福島原発事故の最大の教訓は、事故発生時に、強力な、独立した、専門家の司令塔が不在だったこと。そしてそれに加え、原発推進の立場の経産省と、原発規制に責任を負う保安院が一体となり、原発推進の方向で利益相反的行為を事故後を含め繰り返し、安全の確保が脅かされてきた、と言うことだ。九電、中電、四電などに対し、日常的に保安院が原発推進の方向でシンポでの「やらせ」発言を強要する、などはその良い例だ。

 こうした教訓を踏まえると、日本の原子力行政にとって最も大事な改革は、原子力規制機関が、原発設置などの許認可権限から、日常的規制、監督権限までを一気通貫で行える体制とし、なおかつ他の行政、そして浜岡問題や再起動問題で明らかになったように、何よりも政治からも独立させることだ。しかし、菅内閣から出てくる案では、肝心の許認可権限を経産省から切り離すことは一切触れられてもいないから、「一気通貫性」はないし、そもそも「推進と規制の分離」は唱えるものの、「独立性」に関しては全く関心がない。米国、英国、フランスなど主要先進諸国をみると、規制機関が原発の許認可権を持っていないのは日本だけだし、また、規制機関が他の行政や政治から独立していないのも日本だけだ。今回の政府提案も環境省に所属する「原子力安全庁」だから独立性はない。

 先進各国に共通している規制機関の「独立性」は、(1)許認可権限が規制機関の長にあること、(2)人事権、予算権が規制機関の長にあること、(3)他の行政、および政治からの影響を受けないこと、の3点だ。

 今回の環境省の下に設置する政府案では、この3点のいずれも満たされず、主務大臣が単に経産大臣から環境大臣に代わっただけだ。また、「ドイツでは環境省が原子力安全規制を担っている」と首相周辺が言っているようだが、連邦制のドイツの場合、許認可を含め原子力行政は州政府が行っており、その州政府の規制行政の監督を、連邦政府の環境省が行う形をとっているだけで、ドイツでは環境省が原子力規制の主体ではなく、参考にならない。

 そもそも環境省は、地球温暖化対策、CO2排出抑制の観点から、基本的に原発推進の立場だから、原子力規制機関とは利益相反関係になるのだ。むしろ、環境省と統合すべきはエネルギー庁であって、英国のような「エネルギー・気候変動省」的再編の方がより重要だ。また、原子力安全委員会については、単に母屋を移すに止まらず、現行の内閣府の諮問機関に過ぎない八条委員会から、公正取引委員会のような強力な独立性を持つ三条委員会として改編される、新たな規制機関の司令塔の役割を果たせるよう工夫すべきだ。

 思いつき政権がさんざんブレた挙げ句に、国民に大きなツケだけを残した子ども手当の二の舞にならないように、原子力行政体制については、引き続き国会審議等を通じてしっかり正しい方向へ導きたい。