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やすひさの独り言 Yasuhisa's Soliloquy 今一番伝えたい考えや想いをお伝えいたします

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2012/05/01(火) NO.713号 

逞しく生きる力

 一昨日の夕方から昨日朝にかけ、岩手県の被災地に入る。夕方の釜石港、昨日の朝の大船渡市と、陸前高田市だ。被災各県とも、津波被災地では復旧の兆しすら殆ど見られず、道路などの瓦礫は除去されたものの、平地に住宅や建物の土台が残ったままだ。「津波砂漠」とでも言うべきか。3月に福島県相馬市の慰霊祭に訪れた時も実感したが、国、地方自治体とも対応が遅すぎるのではないか。多くの人々が仮設住宅で仕事もなく、我が家に戻れる見通しも立たないまま、日々不安に暮らしておられる。何とかしなければという思いが募る。

 しかし、そんな中にも逞しく生きる人々に出会って勇気づけられた。昨日の朝、宮城県気仙沼市の北部、唐桑町の典型的リアス式海岸の入り江にある「水山養殖場」で、牡蠣の稚貝を養殖用ロープに挟み込む作業に、妻共々半日参加させて頂く。

 NGOの「シビック・フォース」が支援している養殖場で、今回はスタッフが同行してくれた。ここの牡蠣と帆立の生産者達は、昨年5月には被災地で最も早く養殖を再開させ、今年2月には出荷再開にまでこぎ着けた、逞しく生きる力を持った人達だ。ここで働く20数人の皆さんは、皆仮設住宅から毎日通っている、という。津波にのまれたものの、発泡スチロールにつかまり、流されていた家の屋根によじ登って助かった、という人も一緒に作業をされた中におられた。

 ここの入り江は、豊かな海を取り戻すためには森から再生すべし、という「森は海の恋人」運動の発祥地として知られるところで、NPO法人「森は海の恋人」の代表の畠山重篤さんが養殖場の代表を務め、昨日は、そのご長男の哲さんの手配で作業をさせていただいた。

 数メートルの縄のねじれの間に、牡蠣の稚貝が付いた帆立の貝殻を挟み込んでいく作業で、やり始めると結構はまる。その養殖ロープを養殖イカダに吊り下げていく作業も手伝い、作業完了だ。この豊かな海で大きく太って、来年の秋以降には食べられるようになるという。

 民家が全部流されてしまった入り江の一番奥に、かつての集会所の跡地に畠山一家が建てた集会所を兼ねた家でお弁当を頂く。さっき女性達が作業建屋で取り出していた帆立の貝柱の刺身もごちそうになり、こんな美味しい貝柱があるのか、と言うほどのとろける絶品だった。森の恵みが海で生きている、とはこの事か。「味や生産性では負けない。もっと自由にやらせてくれれば、いくらでも商売が広がると思う」と、にこりと笑いながら、自信の程をちらっと見せる若い漁業経営者の頼もしい姿に、聞いているこちらも、何か嬉しくなった。

 そういえば、全て失った養殖イカダも、裏山で切り出した杉材と竹で、一気に作り直したそうだ。「津波で大変ですね」というと、哲さんは「津波は逃げるしかないんです。一昨年もチリ沖地震による1〜2mの津波で被害はありました。ですから、津波が来る、との前提で家も道路も防波堤も作り、やられたら直ぐ作り直すしかないのです。だから、むやみにお金を入れて強固なものを作ろうなんてもったいないでしょう」と、実にしなやかな考えを語ってくれた。

 逞しく生きる力は、被災地の至る所にきっとあるはずだ。それを発揮しやすいようにするのが、まさに政治の役割である。この一年余りの政府の動き、国会の動きを振り返ると、そして、改めて被災地の現状を見ると、まだまだ我々にはやることがあることは明らかだ。
 
 別れ際に「遠くの人間に何ができるでしょう」と、聞くと、おばちゃんたちは「来てくれてありがとう。気にかけてくれるのが本当に嬉しい」、と応えてくれた。「そう、それに、みかんね」。お土産に持って行った愛媛・中島産のカラマンダリンをとても喜んでくれたのが、すごく嬉しかった。