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毎日新聞-2003年12月6日掲載記事

[近聞遠見] 塩崎恭久の「イラク体験」=岩見隆夫氏

自民党の河野太郎衆院議員が7年前の初当選から発行しているメールマガジン〈ごまめの歯ぎしり〉、意外性があり、人気が高い。小泉純一郎首相のメルマガにつぎ、政治家では2番目の読者数を誇るという。

その1コマ。

01年の暮れ、河野が同僚の塩崎恭久、下地幹郎両議員とアフガニスタンを訪れたときだ。帰国の日、滑走路に穴があき、もう1泊となった。

真夜中、同室の塩崎の大声が響き渡り、驚かされる。
「そんなこと言って、おまえ、説明責任をどうするんだ」

寝言だった。明け方まであと数回。

端正な顔付きからは意外な寝言癖の塩崎、河野らが〈次世代の首相候補の最右翼〉とほれ込んでいる政策通だ。日銀出身で衆院当選3回(愛媛1区)、53歳、党外交部会長などを務めてきた。

話は一転して、イラクである。塩崎が戦争終結後、国会議員としてはじめてイラク入りしたのは4月末、下地、大村秀章両議員が一緒だった。日本は何を貢献すべきか、自分の目と足で見極めるためである。

キルクークからバクダッドに着き、病院などを視察したあと、米復興人道支援局に外務省から長期出張していた奥克彦参事官(11月29日殺害される)と合流する。奥は大統領宮殿で簡易ベッド生活をしていたが、

「イラクとの交流の蓄積がある日本は、いまこそスピードを最重視して復興支援をすべきだ。たとえば、ごみ収集が停止して久しく、衛生上も問題になってきている。町の清掃や学校の文房具の配給など、やるべきことはいくらでもある」

と熱をこめて語ったという。

塩崎はこのときのイラク体験を、新著「日本復活」(プレジデント社刊)に克明に記しているが、なかでもバクダッドから車で1時間、クルド人のハラブジャ村の悲劇が胸を衝く。
88年の某日、50機ほどのフセイン軍機が村に飛来し、化学爆弾を投下、1日で約5000人が死んだ。生き残った村人も後遺症に悩まされている。村長は、

「広島、長崎で被爆体験のある日本人は、同じ大量破壊兵器の犠牲者だ。発達した医療を持つ日本に、ぜひ助けてほしい」

と塩崎らに懇願した。村の名前と広島をつなぎ〈ハラブ・シマ〉と呼んで、日本に特別な親近感を抱いている。

地元の説明では、この村だけでなく、87年、88年の2年間で、180の村にマスタードガスやサリンの化学兵器が使用され、25万人が被害を受けたという。

〈この人々への救済医療を通じて、少なくともフセイン政権が大量破壊兵器を過去において使用した事実は立証できるはずだ。しかし、これまで調査団や多くのマスコミが取り上げてきているが、なんらの結果ももたらしていない。日本の外交決断の正当性を立証するためにも、この問題に取り組むべきだ〉

と塩崎は訴えている。

終結から7ヵ月余が過ぎた。治安情勢が悪化する一方で、自衛隊派遣問題が大詰めだ。
著書のなかで、塩崎は〈反応外交〉という新語を使い、小泉の外交姿勢に、

〈評価すべき点も多くあるが、米国に言われたから、という受け身の反応外交にとどまっている傾向もみられる〉

と懸念を書いている。だが、事態は切迫していて、猶予ならない。いま、塩崎は言う。

「小泉さんの大政治決断だろうが、どれくらいの情報が(官邸に)集まっているのか心配している。あの(訪問の)ときも正直言ってこわかったが、いまはもっと危ない。リスク情報をしっかり整理し直して踏み出さないと・・・・・・」

岩見隆夫氏のホームページは http://www.mainichi.co.jp/eye/iwami/