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月刊愛媛ジャーナル-2000年9月号

将来が展望できる政策を 国民の合意得て決定するシステムの構築を

様々な要素が複合的に作用した結果、自民は全国的には敗北喫する

-今回の衆院選の結果をどう総括されますか。まず、全国ベースの投票結果は。

塩崎 森総理の「神の国」発言や公示後の「(無党派層は)寝ててくれればいい」発言など、一連の舌禍も含め、様々な要素が複合的に作用した今回の選挙結果を見る限り、自民党は負けたと言わざると得ません。自公保の与党三党で二百七十一議席の絶対安定多数を得たとはいえ、三党で六十議席の減。自民党単独でも、二百七十一議席が二百三十三議席の単独過半数割れに追い込まれたわけですから、とても「勝利」と総括できる数字ではありません。
 特に不適切な発言を繰り返し、国民世論からその資質を問われる総理を簡単に選ぶ自民党の体質、具体的に申し上げれば、ホテルの一室に集まった五人で一国の総理を決めるような感覚に対し、国民ははっきりと「ノー」を突きつけたわけです。
 また、昨年成立した第二次小渕内閣組閣後の一連の党運営の在り方や政策の決め方及びその中身と国民への投げ掛け方に対し、国民の批判の目は、かなり厳しかったのではないでしょうか。
 支持率が一向に上がらなかった連立政権の組み方にしても、政策的にきちんと合意を得てから組むのではなく、組もうと決めてから政策をすり合わせるような手法には、国民は理解、納得していませんでした。しかも、東京四区に無所属で出馬し、当選した森田健作氏がいい例ですが、与党三党による候補者調整、選挙協力では、自民党の公認問題等で大小のしこりを残した選挙区は結構あり、それも結果的には、自民の議席減につながりました。

愛媛は全員当選果たすが、地殻変動は確実に地方でもおきている

-愛媛県では、参院補選も合わせた同日選となった結果、自民党の衆参六人が全員党選を果たしましたが・・・。

塩崎 県民の審判という点では、衆院選の四小選挙区と比例代表、参院補選と、立派な成績で勝たせてもらい、心から感謝申し上げます。ただし、比例代表を見ると、自民党の得票率三七.二五%は決して満足できる数字ではありません。しかも、比例票を小選挙単位で四つに分け、それぞれの小選挙区の候補者の得票と比べると、そのギャップの大きさには驚かざるを得ません。
 私が得た一区の得票十万八千六百五十五票に対し、一区での自民党の比例票は六万二千九十五票で、約五七%にすぎません。前回衆院選では、関谷勝嗣氏の約九万票に対し、比例では約七万票で、約七八%あったわけですから、このギャップが二〇%以上拡大したわけです。
 全国的には、自民党が都市部で惨敗したように、県内で最も都市型傾向の強い松山市(一区)ならではの厳しい結果かというと、実はそうではありません。「自共対決」となった四区では、山本公一氏が約十四万三千票という大量得票で圧勝しましたが、四区分の比例票は約七万六千票で、松山市より低い五三%にすぎません。「都市で負けて、地方で勝った」ともいわれますが、この一、四区のギャップの数字が示すように、地殻変動は確実に地方でも起きています。

小選挙区制度では、現職優先をやめ、予備選挙を行うことが必要

-塩崎さんの場合、衆院からの転出という形で一区から出馬し、関谷氏が参院補選に回りました。野党による「鞍替え批判」は選挙に影響しましたか。また、塩崎、関谷両陣営の選挙協力の手応えは

塩崎 今の選挙制度下では、基本的にクロストークがありません。もしも、クロストークがあれば、対立候補を出した民主、社民、共産の各党が「鞍替え批判」で攻勢を強めたでしょうが、それがなかった分、私自身がそうした批判の矢面に立つような局面はほとんどありませんでした。実際、支持者の皆さんを回る中で直接、疑問や批判を投げ掛けられることは殆どありませんでしたし、多数寄せられたメールでも、それに関するご意見は一件だけでした。
 マスコミが再三取り上げ、多党候補者が積極的に争点にされましたが、それが投票行動に与えた影響は予想以上に小さかったというのが、正直な感想ですし、私自身はむしろ、こちらから皆さんに対して丁寧に説明してきたつもりです。
 この小選挙区制度においては、予備選挙を行わない限り、いい候補者を絶えず自ら選ぶという国民のメリットは基本的に生かされません。今のように現職優先を不文律にしていると、政治は良くなりません。政治家にとっては辛いことですが、現職優先をやめ、公平・公正な予備選挙を実施するという透明性の高い体制を、政党の良識で考えるべきだと思います。そして、それが出来ないのは、民主的な政党ではないからだと国民が考えるようになれば、政治も大きく変わってくるのではないでしょうか。
 また、私の十万八千票余り、関谷氏の松山市での十一万八千票余りという得票からも明らかなように、関谷、塩崎両陣営による選挙協力は、お蔭様でかなりうまくいったと思います。心配されていたような軋轢はなく、選挙協力による相乗効果がむしろ多く出たと判断しています。特に来夏には参院の本選挙があり、関谷氏が再選を目指されるので、私の事務所でも早々とその準備に入っています。

古い自民党的なものを打破し、新しいスタイルを創るために会を旗上げ

-塩崎さんは当選後、自民党の若手議員らによる「自民党の明日を創る会」の旗上げに参画されました。この若手結集の背景、目的などは。

塩崎 先程も申し上げたように、今回の選挙結果が如実に示す通り、第二次小渕内閣以降の党運営、政策、選挙戦術等は、いずれも国民から評価されず、都市部、地方を問わずに地殻変動が起こりつつあります。世の中は急速に大きく変わりつつあり、新しい仕組み、システムに対応できない企業は生き残れない時代を迎えているにもかかわらず、自民党は世の中の動きから感覚的にかけ離れたことを相変わらず繰り返しており、それが極めて自民党的な政治として、国民の批判を浴びています。
 例えば、先の第二次森内閣の組閣にしても、長年、地方自治を専門にやってこられ、客観的に適任と言える西田司自治相は別にして、相変わらず年功序列の順送り、派閥均衡という自民党的人事そのままです。しかも、前建設相の逮捕という不祥事が起こり、引き受け手がなかったからかもしれませんが、全く建設省と縁のなかった人が大臣となった上に、本人は「貧乏クジを引いた」と言われる。そもそも一国の大臣になろうかというのに、「貧乏クジを引いた」などという言葉がまかり通っていいのか、怒りを通り越してあきれ果てています。
 確かに、多くの新任大臣が、組閣後、最初の記者会見で、「素人なので何も分からない。これから勉強します」と平気で言える国できましたから、今回のような話も不思議ではないのかもしれませんが、こうした古い自民党的なものは、これからの時代には通用しなくなります。
 また、先には介護保険に関連し、1号被保険者の保険料の半年間凍結やペイオフ延期を決めました。私自身は共に猛反対しましたが、議論を深めることはなく、最初に結論ありなのか、一方的に押しつぶすように決めてきました。それがいかにも選挙目当てのようで、衆院選前から「このままでは本当に駄目になる」という危機感を高めていました。
 結局、私も含め、そうした思いを持っていた人たちが選挙後、「自民党内部から自民党を変えよう」、「新しい政治のスタイルを創ろう」と立ち上がったのが、今回の派閥横断的な「自民党の明日を創る会」です。

党運営や政策の決め方、中身などで堂々と改善を主張したい

-次期総裁選には、「自民党の明日を創る会」から総裁候補を出すといった話も出ていますが・・・。

塩崎 来年九月の総裁選対応のみがクローズアップされている観がありますが、我々四十五人はまず、定期的に議論の場を持ちながら、自民党の党運営の在り方や政策の決め方及びその中身、国民への投げ掛け方等について、変えるべきは変えようと堂々と主張していくつもりです。
 そうした行動を続ける中、自民党の政治スタイルが変わらず、総裁候補となる方も、国民の評価が得られず、なおかつ、その選び方等について、我々が納得出来ないならば、我々の中から総裁候補を出そうというのが基本的な考え方です。
 その間、半年先には、省庁再編を受けての組閣もあります。これについても、古い自民党的な人選、決定とならないように主張すべきは主張していきますし、当面の課題としては、そごうの債権放棄問題と斡旋利得罪の法制化に取り組んできました。
 特にそごうの債権放棄問題は、国民の税金を投入しようというのに、納税者(国民)の代表である国会議員が了解せず、役人が勝手に決めるというとんでもない話でした。また、九百七十億円の債権放棄をすれば、とりあえずは存続できても、将来に亘って業界の中で生き残れるかどうかは分からないという民間の経済原理の世界に、国が関与すること自体、信じられません。国民のライフラインである電気やガス、通信、鉄道等ならいざ知らず、完全な私企業の問題だけに、そんな話が国民に通用するわけはありません。結局、我々の行動も奏効し、債権放棄計画の撤回、民事再生法の申請に至ったことは、旗上げによる一つの成果と考えています。
 さらに税金の問題で言えば、介護保険料の半年間凍結が決まった時、説明書には「その財源は国が負担する」旨書かれていましたが、国が負担するなどという発想を持った人たちを上に戴いていること自体、我々には大問題なのです。国は納税者があって初めて成り立つ以上、国が負担するのではなく、納税者の皆さんに負担してもらうわけです。それを国が負担すると言い切る感覚は、国が国民の面倒を見ているんだという過去の発想を今だに引きずっている証拠ではないでしょうか。
 また、国会議員は十期、二十期務めた議員も初当選の議員も、同じ国民の代表、代理として出てきたわけですから、立場は全く平等で、そこから先は直接民主主義であるべきです。ところが、その対等であるべき「代理」同士で、屋上屋を重ねるように誰かに「代理権」を与え、その一部の人間が物事を一方的に決めるようなことが当たり前になっていては、いずれ国民から見離されるのは明らかです。

政治は国民が抱える不安に対し、きちんと説明する責任を負うべきである

-ところで、目前に控えた二十一世紀の国政の重要課題は。

塩崎 今の政治の最大の問題は、この国を誰がどこに向けて、どう引っ張っていくのかが見えないこと、換言するならば、「指令塔」を欠いていることです。
 そして、国・地方の財政や年金等で抱えている問題は大変深刻なのではないかと、莫然としたものながら、国民全体が将来の不安を感じているにもかかわらず、政治がきちんとした説明、腹を割った説明をしていないことです。
 まさに二十一世紀初頭の日本の政治課題は、将来を展望できるような政策を国民と話し合いながら決めていくシステムを、いかに作るかに尽きます。個別の政治課題はいろいろありますが、まずはこのシステム作りを急がねばなりません。
 政治家が予算を云々する際、よく「政治の関与」、「政治の介入」という言葉が批判的に使われます。しかし、予算とは本来、納税者の代表による「政治」が決めるものです。この点、大蔵省の主計局長は歴代、若い主計官に「予算は政治なり」と言ってきましたが、これはいささか筋違いの発想です。自分達が予算を掌るイコール政治を動かすということでしょうが、代表として選ばれたわけでもない人に何故、政治が出来るのか、誰の負託を受けたと言うのかということになります。
 私は昨年、オーストラリアを視察した際、「なるほど」と思ったことがあります。オーストラリアでは、政策の選択肢は政策のプロである役人が出しますが、大臣は自分で選べる補佐官を七、八人抱え、この政策スタッフを使いながら、最終決断は自ら下します。
 それでいいのかと役人に尋ねると、「我々は失敗しても首になることはないので、最終決断をする資格はない。政治家は失敗すれば、選挙の洗礼を受け、落選という形で責任を取る。従って、最終決断を責任の取れる政治家に下してもらうのが当たり前だ」という答えが返ってきて、私は、この当たり前のことが行われていない日本が不思議に思えました。
 政策をお役所任せにするのではなく、政治家が自らの責任において政策を立案し、国民の皆さんにきちんと問い掛けて、コンセンサスを得ながら、その実現を図るという政治のスタイルに変えていかねばなりません。

愛媛は「元気」を創出し、日本一の「環境先進県」に

-地元である愛媛県、松山市の課題は。

塩崎 抽象的な表現になりますが、外から見ても、愛媛県、松山市が元気だと言われるような地域づくりにどう取り組むかが、最も大切になります。この点、愛媛県は全体的に気候温暖で災害は少なく、食べ物も豊かで物価が安いなど、暮らしやすい土地柄ではありますが、では、誰もが認めるような活力に満ちているのか、若者が定住しているのか、或いは、情報や産業、文化などで愛媛発信がどれだけあるのかを考えると、残念ながら自信を持って胸を張れる状況にはありません。
 この点は、我々地元選出の国会議員にも責任の一端はあります。二十一世紀に向けては、我々と県や各市町村、財界、住民等が一体となり、「元気」を生み出す努力を積み上げていかねばなりません。
 例えば、観光文化面でも、愛媛県、松山市には埋れた素材が沢山あります。ところが、松山観光というと、坊っちゃん列車に子規記念博物館、松山城、道後温泉など、幾つかのポイントはあるものの、そこにストーリー性がなく、面的な広がりがないため、リピータ-が作れません。
 幸い、加戸知事は各地域別に、ストーリー性のある観光文化ルートを形成しようとされていますし、松山市の中村市長も、「坂の上の雲」のまちづくり構想を通して、このストーリー性、広がりのある観光文化の魅力づくりに着手されています。こうした新しい「風」が全県的、全市的な「元気」の源になることを期待しています。
 また、昨今、文明論としても極めて重要になってきており、愛媛県、松山市も共に力を入れつつある地球環境問題があります。かつて、立川涼・愛媛大学教授が、ダイオキシン問題の発端を切り拓いたように、環境に関する「学」の人的資源と蓄積した研究データはここ愛媛には極めて豊富で、「産」にも、ダイキや三浦工業といった環境関連の素晴らしい企業が沢山あります。この「産官学」が例えば「愛媛環境研究所」を設立するなど、連携を一層強化し、環境問題の「発信基地」となっていけば、愛媛県は日本一の「環境先進県」になることが出来ると思います。

政治は「土俵」を提供することに徹し、そこで国民が「自生」できる国づくりを

-最近特に感じておられることなどあれば・・・。

塩崎 戦後の自民党政治は、「国と国民を豊かにしよう」、「共産主義の国にしてはならない」と、この二つの旗印を掲げて国づくりを進めてきました。結果、経済成長と物質的豊かさを実現し、ソ連の崩壊など国際的な動向からも、日本が共産主義の国になる懸念はなくなったと考えられます。
 ところが、この世紀末、日本の政治・経済は抜本的な構造改革が求められる一方、社会的には、凶悪化する少年犯罪やモラルの低下など危機的状況にあると言っても過言ではなく、国民はこの国のいく末に不安を抱いています。
 では、二十一世紀の日本をどうしていくのか。私は、これからの国というのは、防衛や災害対応といった国家存続の根幹部分を支えるのは当然のこととして、それ以外では、経済的にも社会的にも国民の皆さんに「土俵」を提供することに徹すべきだと思います。
 もちろん、「土俵」からこぼれる人は、手を差し延べなければなりませんが、あとは余計な口出し、手出しを控え、国民に自由に活動してもらって、その「土俵」で「自生」してもらうわけです。これだけボーダレス化が進み、価値観が多様化した時代です。国が必要最低限の「守り」さえ確保すれば、自分の価値観で自分の人生を選ぶ自由闊達な国民の様々な活動が、「日本再生」に必要な活力を生むのではないでしょうか。
 また、自然の回復能力、治癒能力には自ずと限界があります。地球環境の破壊がこのまま進むと、自然は二度と取り戻すことはできません。国内的にはもちろんですが、日本が先頭に立って、地球規模で取り組まねばならない二十一世紀の最重要課題です。

私にとっては改策の下地となる「現実」を教えてくれるのが「後援会」

-最後に何か、国民へのメッセージは。

塩崎 あらゆる面で価値観が多様化する中、政治家が判断しなければならない問題は増えています。しかし、こん棒を振りかざすような政治の関与は、暴走を生む危険性がある一方、これまでのようなお役人任せでは、日本はますます遅れを取りかねません。一般的に言われているように、役人というのは、部分的には正解でも、国民の本音、実感から遠い位置にいるが故に、全体としてはミスマッチを生じかねません。だからこそ、プロである役人の意見を十分に聴いた上で、政治家が最も正解に近いものを判断、選択していくことが大切になります。
 この点、政治家には「後援会」というものがあり、これは何かと言うと、選挙の時に応援して下さる人達です。しかし、私は最近、選挙の時に必ずしも応援してくれない人も含め、普段から私にいろいろと教えてくれる人、勉強させてくれる人の集まりこそが「後援会」であると考えるようになりました。
 私は基本的に、高齢者・障害者・福祉や年金、保健・医療といった社会保障をライフワークとしてきましたが、自ら福祉や医療の現場に足を運び、或いは、関係者と真摯な対話を繰り返す中で、実に多くのことを学ばせてもらいました。政治家として、役人が示すプランを誤りなく判断、選択していくためにも、こうした勉強という意味での「後援会」の存在は不可欠となります。
 県民、広くは国民の皆さんにお願いしたいのは、手紙や電話、FAX、メール、どんな形でも結構ですので、どんどんご意見、ご提言を頂戴したいということです。それが私自身の政治家としての誤りなき政策、行動の源泉となるからです。