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Foresight(フォーサイト)「政治家の仕事」-1999年5月15日号掲載

「日本版ビッグバン」から「サプライサイド改革」へ

Foresight
 昨年秋の金融国会では、金融再生関連法案の与野党協議に際して、金融政策に精通した若手議員達の活躍が注目を集めた。大蔵省を向こうに回し、時には党幹部とぶつかってでも、与野党間の議論を通じて自ら法案を作り上げてゆく。その姿は永田町的な政治風土からは確かに異質で、新聞各紙は彼らを「政策新人類」と呼んだ。

 その代表格が、自民党側の交渉役を務めた塩崎恭久参議院議員である。

 塩崎潤元総務庁長官を父に持つ塩崎氏はいわゆる二世議員の一人だが、その経歴には「二世」と一括りにさせないだけの厚みがある。塩崎氏は1950年生まれ、東大教養学部卒業後、75年に日本銀行に入行。日銀には12年間在職したが、この間、世界のトップ・エリートが集うハーバード大学ケネディ・スクール(行政学大学院)で行政学修士号を取得している。日銀退職後は父の秘書を務め、父の引退に伴い93年総選挙で愛媛一区から初当選。その後、小選挙区制導入による候補者調整で95年に参院に鞍替えした。

 昨年、一躍脚光を浴びる形になった塩崎氏だが、その"活躍"の端緒は実は橋本政権時にまで遡る。意外に知られていないが、橋本政権が掲げた「日本版金融ビッグバン」の発案者が塩崎氏なのである。いわゆる「橋本六大改革」の原点は96年10月総選挙時の自民党公約にあるが、金融分野の執筆を任された塩崎氏がここで「日本版ビッグバン」を打ち出したのだ。

 そのもとになったのは、塩崎氏が中心となって同年8月に与党行革プロジェクトでまとめた素案と、9月に作成した「日本版ビッグバンを目指して」と題する党行革推進本部規制緩和委員会の「塩崎私案」である。特に後者には「証券市場の整備」「業態問題」などについて具体的なスケジュールまで明記されており、その後の実際の規制緩和もほぼこのとおりに進んでいるのだ。「もともと橋本首相が金融・証券の規制緩和に関心が高く、水野清さん(当時の自民党行革推進本部長)が私を登用してくれたからこそできたこと。自社さ連立で政策決定過程が与党プロジェクト中心に変わり、若手の出番が増えたことも大きかった」と塩崎氏は振り返るが、塩崎氏はまさしく「橋本改革」の申し子だったといえるだろう。

 一貫して「銀行を追い込め」と主張してきた塩崎氏だが、金融再生の枠組みができたことで「金融は再生へ転がり始めた」と語る。日本経済再生のために次なる課題と位置づけるのは、むしろ「サプライサイド改革」、不良債権の裏側にある「不良債権を抱えた企業」の改革だ。その解決策として提案しているのが「デッド・エクイティ・スワップ」(債務と株式の交換)だ。

 「銀行への公的資金注入によって債権放棄が横行すれば、結局、今回の金融再生策は25兆円の債権放棄に終わりかねない。いま急務なのは本当の意味での企業のリストラクチャリング。そのチャンスを提供するという意味でこの制度は有効です。債務者のモラル・ハザードを防ぎながらの企業再建が可能だし、債権者は株主として再建企業のモニターを続けながら、将来的には利益すら得られる。債権放棄よりははるかに透明で実効ある方法です」

 金融分野の専門知識を駆使する塩崎氏には、「金融のプロ」とのテクノクラート的な評価が下されがちだが、その評価は正確ではない。確かに95年初めの段階で「金融空洞化」への警鐘を鳴らす論文を発表するなど、その知識は政治家の中では抜きんでているが、むしろ注目すべきは、この論文でも「国家戦略としての金融」という視点が基底にあるように、常に「国家の長期的戦略」を意識する姿勢と、その的確な時代認識だ。彼がいま金融に力を注ぐのは、「それがいま最大の問題だから」(塩崎氏)に過ぎないのだ。

 「問題となることは全て取り組もうと思っています。国会議員が政策をやるのは当たり前。究極的には日本のガバナンスの仕組みをあらゆる分野で見直したい。行政府の人間が立法までやってきたシステムそのものを変えたい」

 塩崎氏に「新人類」などというレッテルが貼られなくなり、彼のような存在が「当たり前」になったときこそ、日本の政治も変わるのかもしれない。